【ハイキュー‼×SVリーグ】大阪ブルテオン永露元稀は192cmの「勝たせるセッター」 青葉城西の司令塔・及川徹は「憧れる」
大阪ブルテオン 永露元稀
(連載28:大阪ブルテオン山内晶大が振り返る、パリ五輪のあと1点 『ハイキュー‼』は「もっと早く見ておけばよかった」>>)
「西田(有志)は、あれだけ跳べる選手はいないですし、対応能力もあってピンポイントで打ってくれるので、(トスを)上げていて楽しいです」
永露元稀(28歳)は明るい声で言った。フィリップ・ブラン監督時代の日本代表にも選ばれた身長192cmの長身セッターは、強豪チームでプレーする難しさとやりがいをこう語る。
「ブルテオンは西田のほかにもスパイカーが揃っている分、自分でゲームメイクして相手ブロッカーと駆け引きしたり、工夫をしないといけない。強いチームならではの緊張感もありますね。でも、そのプレッシャーを乗り越えられたら、成長できると思うんですよ」
永露は福岡県春日市で生まれ育った。彼をバレーボールの世界に引き入れたのは、従兄弟。朝倉市にある祖父母の家が従兄弟の家と隣で、正月やお盆休みなどで訪れていた。
小学4年の頃、1年の時からバレーをやっていた従兄弟に誘われ、バレーに触れた。
「デカいし、少しうまかったみたいで、監督から『ぜひ入ってほしい』と言われました。あまり詳しくは覚えてないんですけどね」
チームがある朝倉市までは車で1時間超。毎日の送り迎えは難しく、毎週水曜は日帰り、金・土・日は祖父母の家に泊まり、卒業まで通い続けた。
「おばあちゃん、おじいちゃんには感謝しています。住み込みみたいな感じだったので」
そう語る永露は優しい表情になる。
「練習はめちゃくちゃ厳しかったです。でも、負けず嫌いというか、『負けたくない』という気持ちでやっていました。逃げ出したいこともあったんですけど、チームメイトや親同士も仲がよくて、みんなでご飯に行くのも楽しかったので頑張れました」
中学は周囲の負担も考えて、地元の中学のバレー部に入った。部員は全員が初心者で、彼が球出しをした。何でも自分でやっていたため、サーブ、レシーブ、スパイクも上達したという。
中学1年の時点では「そこまでバレー熱は高くなかった」そうだが、転機があった。
「中学2年で福岡の大会に出た時に、『高校は特待生で取るよ』と声をかけてもらって。そこから『ちゃんとやろう』となりました。早く親孝行したかったし、『将来はバレー選手に』と集中しました」
高校は名門の東福岡へ。そこでまた転機が訪れる。
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著者プロフィール
小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。