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【ハイキュー‼×SVリーグ】大阪ブルテオン中村駿介が烏野と重ね合わせる春高バレーでの負け その後、大学でのセッター転向で開花した

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki

『ハイキュー‼』×SVリーグ コラボ連載(30)

大阪ブルテオン 中村駿介

(連載29大阪ブルテオン永露元稀は192cmの「勝たせるセッター」 青葉城西の司令塔・及川徹は「憧れる」>>)

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「今は『ずっと負け続けている』と思っています。(SVリーグでは)試合にあまり出られていないので。今のチームで、ファーストセッターとしてトスを上げて、優勝したいです。(2022年に日本代表に選ばれているが)あまり先を見過ぎないようにしたいですね」

 中村駿介(25歳)は、真っ直ぐ前を向いて言った。

「セッターは目立たないポジションかもしれませんが......勝った時が一番うれしいです。3セット、長い時は5セット、1点目から25点目までをどう取るかを考えるので。考えているうちに、試合が終わっている感じです(笑)。試合が終わってホッとするのは、別のポジションとは違う喜びですね」

 それが中村の、セッターの矜持だ。

 中村はバレーボールと切っても切り離せない家に生まれた。両親はともにバレー選手。父はVリーガーで、母は春高バレーに出場した経験がある。必然的に、バレーは常に身近にあった。9人制でプレーしていた父親の試合を観に行き、父とパス交換をする。そんな日常だった。野球やサッカーなども経験したが、バレーの楽しさには及ばなかったという。

 そして小学3年の時、兵庫にあるバレーチームに入った。

「お父さんと職場が一緒だった方が監督しているチームでした。練習を見学に行った時は、すごく厳しい感じだったんですが、気づいたら『やりたい』と言っていて。おかしいっすよね(笑)」

 大阪府出身の中村は明るく言い、笑みを洩らす。

「当時は身長がそこまで大きくなかったんで、レシーブから始めました。ボールを落とさなかったら負けない。そこに惹かれましたね」

 つなぐ、託すというバレーの虜になった。父には「好きなことをやったらいい」と言われていた。むしろ「無理にバレーをやらなくてもいい」というスタンスだったようだが、彼自身はバレー選手になることを心に決めていた。中学ではパンサーズジュニアに入団し、リベロやスパイカーをやりながら、得意なディグを中心に総合能力を高めた。

 大塚高校では1年から春高バレーに出場。準決勝では、ブルテオンのチームメイトで同じセッターの永露元稀がいた東福岡高校と対戦し、惜しくも敗れた。当時の中村はリベロで、永露はミドルブロッカー。その後、ふたりともセッターに転向し、同じチームでポジションを争うというのも何かの因果だろうか。

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著者プロフィール

  • 小宮良之

    小宮良之 (こみやよしゆき)

    スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。

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