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ラグビー日本代表・宿澤広朗が遺した勝利の哲学 シビアな銀行マンはフィジカルの弱さから目を背けなかった

  • 斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji

語り継がれる日本ラグビーの「レガシー」たち
【第40回・最終回】宿澤広朗
(熊谷高→早稲田大)

 ラグビーの魅力に一度でもハマると、もう抜け出せない。憧れたラガーマンのプレーは、ずっと鮮明に覚えている。だから、ファンは皆、語り継ぎたくなる。

 最終回となる連載40回目は、それにふさわしい男を取り上げたい。早稲田大学の名SHとして2度の日本一に貢献し、社会人では銀行マンとの「二足のわらじ」を履きながら日本代表指揮官として世界に挑んだ男──。日本ラグビー史を塗り替えた「名将」宿澤広朗(しゅくざわ・ひろあき)である。

※ポジションの略称=HO(フッカー)、PR(プロップ)、LO(ロック)、FL(フランカー)、No.8(ナンバーエイト)、SH(スクラムハーフ)、SO(スタンドオフ)、CTB(センター)、WTB(ウイング)、FB(フルバック)

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宿澤広朗/1950年9月1日生まれ、東京都日野市出身 photo by AFLO宿澤広朗/1950年9月1日生まれ、東京都日野市出身 photo by AFLOこの記事に関連する写真を見る 宿澤の真骨頂といえば、やはり1989年5月のスコットランド戦だろう。日本代表監督として、史上初めて同国から「28-24」で金星を挙げたあの一戦だ。

 当時の日本代表は、強豪相手に善戦はすれど勝ちきれない、悪いサイクルから抜け出せずにいた。そんな停滞ムードのなか、キャップ数わずか「3」の宿澤が代表監督に抜擢される。ロンドンなど世界の金融最前線で活躍していた「銀行マン」に対し、現場経験の少なさを危惧する声もあった。だが、宿澤に迷いはなかった。

 就任直後、さっそく着手したのは現実の直視だ。体格で劣り、フィジカルで押しきられる日本が、世界の真似をして勝てるはずがない。日本人には日本人の戦い方がある──。

 宿澤は「しっかりタックルができる」ことを選考基準とし、テンポアップと判断のスピードを徹底した。さらに戦術を共有し、役割を明確化する。その手法は、のちの「エディージャパン」にも通じるものだった。

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著者プロフィール

  • 斉藤健仁

    斉藤健仁 (さいとう・けんじ)

    スポーツライター。 1975年4月27日生まれ、千葉県柏市育ち。2000年からラグビーとサッカーを中心に取材・執筆。ラグビーW杯は2003年から5回連続取材中。主な著書に『ラグビー『観戦力』が高まる』『世界のサッカーエンブレム完全解読ブック』など多数。

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