ラグビー日本代表の「赤鬼」マコーミック 史上初の外国人キャプテンは当初2年で帰国するつもりだった
語り継がれる日本ラグビーの「レガシー」たち
【第39回】アンドリュー・マコーミック
(クライストチャーチ・ボーイズ高→東芝府中→釜石シーウェイブス)
ラグビーの魅力に一度でもハマると、もう抜け出せない。憧れたラガーマンのプレーは、ずっと鮮明に覚えている。だから、ファンは皆、語り継ぎたくなる。
連載39回目は、ラグビー日本代表史上初の外国人キャプテン──「アンガス」ことCTBアンドリュー・マコーミックを取り上げる。顔を真っ赤にして体を張り続ける姿から、彼についた異名は「赤鬼」。東芝府中(現・東芝ブレイブルーパス東京)を日本選手権3連覇へ導き、日本代表でも不動のCTBとして世界と戦った闘将だ。
※ポジションの略称=HO(フッカー)、PR(プロップ)、LO(ロック)、FL(フランカー)、No.8(ナンバーエイト)、SH(スクラムハーフ)、SO(スタンドオフ)、CTB(センター)、WTB(ウイング)、FB(フルバック)
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アンドリュー・マコーミック/.1967年2月5日生まれ、ニュージーランド出身 photo by AFLOこの記事に関連する写真を見る 背番号「13」を背負い、桜のジャージーで世界へ挑んだその姿は、今もファンの記憶に鮮烈に刻まれている。だが、アンドリュー・マコーミックを語るうえで欠かせないのは、プレーだけではない。文化や言語の壁を越え、仲間と深くつながり、チームの精神的支柱となっていった、その人間臭い「軌跡」にある。
「ミステリアスで、未知の冒険だった」
日本でのキャリアを、マコーミックはそう振り返る。
ラグビー王国ニュージーランドで、祖父・アーチー、父・ファーガスも「オールブラックス」という、正真正銘のラグビー一家に生まれた。8歳から楕円球を追い、名門クライストチャーチボーイズ高校、地元アマチュアクラブのリンウッド、そしてカンタベリー州代表へと順調にステップアップした。
しかし、あと一歩でオールブラックスに選ばれず、ワールドカップへの道が閉ざされる。「Away from Bitterness(苦しみから逃れたい)」。1992年、25歳のマコーミックは海を渡る決断をした。
著者プロフィール
斉藤健仁 (さいとう・けんじ)
スポーツライター。 1975年4月27日生まれ、千葉県柏市育ち。2000年からラグビーとサッカーを中心に取材・執筆。ラグビーW杯は2003年から5回連続取材中。主な著書に『ラグビー『観戦力』が高まる』『世界のサッカーエンブレム完全解読ブック』など多数。
























