ラグビー協会の元会長は168cmの名CTB 森重隆「打倒ワセダ」への思いが新日鐵釜石7連覇の礎となった
語り継がれる日本ラグビーの「レガシー」たち
【第30回】森重隆
(福岡高→明治大→新日鐵釜石)
ラグビーの魅力に一度でもハマると、もう抜け出せない。憧れたラガーマンのプレーは、ずっと鮮明に覚えている。だから、ファンは皆、語り継ぎたくなる。
連載30回目は、小さい体格ながら、高校、大学、社会人、そして日本代表でもトップレベルのプレーでファンを惹きつけ、引退後は母校の指導者、そして日本ラグビー協会の会長も務めた「ひげ森」こと森重隆を紹介したい。キレのあるラン、低いタックルを武器に一時代を築いたCTBだった。
※ポジションの略称=HO(フッカー)、PR(プロップ)、LO(ロック)、FL(フランカー)、No.8(ナンバーエイト)、SH(スクラムハーフ)、SO(スタンドオフ)、CTB(センター)、WTB(ウイング)、FB(フルバック)
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森重隆/1951年11月6日生まれ、福岡県福岡市出身 photo by Jiji Photoこの記事に関連する写真を見る 端正な顔に、屈託のない笑顔。そしてトレードマークの口ひげ。
「ひげ森」の愛称でファンから親しまれたラガーマンを覚えている人も多いだろう。
森重隆は1970年代から1980年代にかけて、日本のラグビーシーンを引っ張った選手のひとりだ。身長168cm・体重66kgの小さな体躯ながら、日本代表キャップは27個を積み重ね、桜のジャージーを着て8試合もキャプテンを務めた。
ポジションはCTB。新日鐵釜石の「13番」のジャージーを背負ってグラウンドを駆け抜ける姿が印象強く、地を這うようなタックルで相手を止め続けた。
「ラグビーは基本的に『痛い』スポーツ。痛い顔をせず、我慢して、大きな相手にタックルする。自分がいかないと、ほかのメンバーに迷惑をかける。自己犠牲がラグビーの魅力のひとつで、それをできる選手が評価されて、見ている人の心も打つ」
森はラガーマンとしてあるべき姿を、まさに体現した選手だった。
著者プロフィール
斉藤健仁 (さいとう・けんじ)
スポーツライター。 1975年4月27日生まれ、千葉県柏市育ち。2000年からラグビーとサッカーを中心に取材・執筆。ラグビーW杯は2003年から5回連続取材中。主な著書に『ラグビー『観戦力』が高まる』『世界のサッカーエンブレム完全解読ブック』など多数。
























