NBA伝説の名選手:ケビン・マクヘイル 1980年代のセルティックス王朝を支えたビッグマン (3ページ目)
【多彩なオフェンスでNBA王座に貢献し殿堂入り】
「健康だったときの私は、いつも得点できると感じていた」と語ったように、マクヘイルはゴールに正対してのスポットアップからのバンクショット、フィンガーロール、リバーススピンムーブ、ベースラインからのダンクなど、フットワークを巧みに使いこなすことで得点を量産していた。1985−86から5シーズン連続で平均20得点以上を記録した実績が、文頭でバークリーの言葉を引用した理由でもある。
セルティックスは1987年に宿敵レイカーズにNBAファイナルで敗れると、1988年はこの数年で飛躍してきたデトロイト・ピストンズにカンファレンス決勝で敗退。バード、マクヘイル、パリッシュ、デニス・ジョンソン、ダニー・エインジというすばらしいスターティング5を構成していたチームがNBAを支配する時代は、終わりを告げることになる。
バードが腰の痛みに悩まされ続けたことが原因で、1992年のバルセロナ五輪を最後に現役引退。マクヘイルは1987年夏以来となる右足首の手術を1990年に受け、その後も腰の故障につき合うキャリアを過ごし、1992−93シーズンを最後に現役引退した。
3度のNBAチャンピオンシップ、7度のオールスター、オールディフェンシブ・ファーストとセカンドチームに3回ずつ選出という功績を残したことで、背番号32はセルティックスの永久欠番となり、1999年にホール・オブ・フェイム(殿堂)入りを果たした。
「毎晩コートに立つたびに、ベストを尽くすつもりだとわかっていた。チャンピオンシップの年は何度もそうだった。幸運にもここで3回優勝することができ、あの頃は間違いなく私の人生で最高の日々だった」
セルティックスの永久欠番セレモニーで、こう語ったマクヘイルは、1994年夏にミネソタ・ティンバーウルブズのアシスタントGMになり、翌年GMに就任。高校生のケビン・ガーネットをドラフトで指名し、スーパースターに育て上げた。その後ウルブズ、ロケッツでヘッドコーチを務め、現在はNBATVのコメンテーターとして活躍している。
【Profile】ケビン・マクヘイル(Kevin McHale)/1957年12月19日生まれ、アメリカ・ミネソタ州出身。1980年NBAドラフト1巡目3位指名。
●NBA所属歴:ボストン・セルティックス(1980-81〜1992-93)
●NBA王座3回(1981、84、86)/オールNBAファーストチーム1回(1987)/オールディフェンシブ・ファーストチーム3回(1983、89、90)/NBAシックスマン賞2回(1984、85)
●主なスタッツリーダー:フィールドゴール成功率2回(1987、88)
*所属歴以外のシーズン表記は後年(1979-80=1980)
著者プロフィール
青木 崇 (あおき・たかし)
1968年群馬県前橋市生まれ。1992年から月刊バスケットボールとHOOP誌の編集者を務めた後、1998年に独立して渡米。アメリカ・ミシガン州を拠点にNBA、NCAA、数々のFIBA国際大会を取材。2011年から拠点を日本に戻して活動を続け、Bリーグの試合で解説者も務めている。
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