石毛宏典が振り返る潮崎哲也の8者連続奪三振「体は小さいのに、マウンドにいる姿は大きく見えた」
石毛宏典が語る黄金時代の西武(12)
潮崎哲也 後編
(前編:サードから見ていた潮崎哲也の「魔球」シンカー 「あれは、バッターは戸惑いますよ」>>)
"魔球"と呼ばれたシンカーを操り、西武の黄金時代のピッチャー陣を支えた潮崎哲也氏。石毛宏典氏がエピソードを語る後編では、ルーキーイヤーの快投や、潮崎氏がシニアアドバイザーを務める現在の西武についても言及した。1990年の巨人との日本シリーズ第4戦、クローザーとして西武の日本一を決めた潮崎 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る
【体が強く、器用だった】
――潮崎さんは、プロ入り1年目からリリーフとして7年連続40試合以上を投げるなど、現役生活を通じて大きな故障がなかった印象があります。
石毛宏典(以下:石毛) 昨年に行なわれた西武のOB戦(2024年3月16日開催)では先発を務めたのですが、そこでもそれなりに投げられていましたしね。ナベちゃん(渡辺久信氏の愛称)もそうだけど、現役時代に大きな故障がなかったピッチャーは、年を取っても投げられるんだなと思いましたよ。
――OB戦では、潮崎さんと対戦しましたね。
石毛 自分がトップバッターだったのですが、最初の打席でヒットを打ちました。セカンド後方の平凡なフライだったのですが、みんな足が動きませんから(笑)。打った球は、普通の真っすぐだったかな。潮崎は往年の投球フォームでしたよ。
あと、彼はゴルフのフォームもきれいなんです。変に緊張することなく打つタイプで、うまいですし、身のこなしがいいんです。
――石毛さんは秋山幸二さんについて、「野球以外のスポーツでも一流になれた可能性がある」と話していましたが、潮崎さんも同じようなタイプですか?
石毛 先ほど(前編で)共同石油の女子バスケットボール部(現ENEOSサンフラワーズ)と一緒に自主トレをしたことを話しましたが、バスケもそつなくこなしていましたからね。野球以外のスポーツでも、それなりに結果を残せたかもしれません。
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著者プロフィール
浜田哲男 (はまだ・てつお)
千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。