石毛宏典が振り返る潮崎哲也の8者連続奪三振「体は小さいのに、マウンドにいる姿は大きく見えた」 (2ページ目)
【1年目から胴上げ投手に】
――潮崎さんは1年目から即戦力ルーキーとして活躍しましたが、特に1年目のオリックス戦(1990年7月5日)で達成した8者連続奪三振(1962年の尾崎行雄氏以来)は圧巻でした。石毛さんも同試合にサードで出場していましたが、守備位置から見ていてどうでしたか?
石毛 確か、その試合の先発はナベちゃんだったと思うので、潮崎は中継ぎでマウンドに上がったはずです。当時のオリックスには門田博光さんやブーマー・ウェルズ、松永浩美、石嶺和彦、藤井康雄らがいて、「ブルーサンダー打線」と呼ばれるかなり強力な打線でしたが、臆することなく次々に三振を奪っていきました。
ピッチング技術の高さもそうなのですが、マウンド度胸といい、ルーキーという雰囲気ではまったくなかった。体は小さかったのに、マウンドにいる姿が大きく見えるというか、頼もしかったですよ。ルーキーながら、シーズンと日本シリーズの両方で胴上げ投手にもなりましたし、"持っている男"でもありましたね。
――そういった場面で起用されるのは、首脳陣からの信頼が厚かったからでしょうね。
石毛 セットアッパーやクローザーとしては鹿取義隆もいましたが、鹿取は少し投げてみないと調子の良し悪しがわからない部分がありましたから。個人的に、安定感は潮崎のほうがあると思っていました。
――性格もリリーフ向きでしたか?
石毛 後に引きずらないタイプなので、どちらかといえばリリーフ向きかもしれません。ナベちゃんと同じで、あっけらかんとしているというか。自分もそうなのですが、そういうほうがストレスを抱えないのでいいんじゃないですかね。「自分が打たれたから負けた」とか、終わったことを悔やんでも仕方がない。試合は毎日のようにありますから。
【チーム再建を図る今の西武への期待】
――潮崎さんは、西武の編成部門トップのスカウトディレクターを務められていましたが、昨シーズンで退任(現シニアアドバイザー)。それ以前は、西武の一軍ヘッドコーチや投手コーチ、二軍監督などを歴任されていますね。
石毛 ナベちゃんもそうなのですが、現役を引退したあとも現場やフロントで長くライオンズに貢献してくれていますよね。明るく、コミュニケーション能力が優れていて人付き合いもいいので、フロント業が向いているのかもしれません。ただ、プロの世界は結果がすべてですし、昨年の西武は厳しいシーズンとなってしまいましたが......。
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