渡辺久信が感謝する広岡達朗との出会い 「厳しい監督のもとで1、2年目に真剣に野球と向き合えた」
渡辺久信インタビュー(後編)
西武黄金期を支え、指導者としても手腕を発揮してきた渡辺久信氏。広岡達朗、森祇晶、東尾修、伊東勤といった名将たちのもとで培った経験や、台湾での"第二の青春"とも呼べる挑戦の日々、さらには自らの指導哲学に至るまで──。「渡辺野球」の原点と未来への思いを語った。
監督就任1年目に涌井秀章(写真右)ら若手の活躍で日本一に輝いた渡辺久信氏 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る
【西武1位指名の舞台裏】
── 西武時代の現役時代は、広岡達朗監督(1984〜1985年)、森祇晶監督(1986〜1994年)、東尾修監督(1995〜1997年)の下でプレーされました。コーチ時代には伊東勤監督(2004〜2007年)にも仕えています。それぞれ、どのような野球をされていたのでしょうか。
渡辺 広岡監督といえば、皆さんご存知の「管理野球」です。野球だけでなく、食事まで徹底的に管理されていました。私は高校時代から管理されるのが苦手で、「久信は西武に行かないほうがいい」と周囲からも言われていたほどです(笑)。
── そうなると、西武に行かないという選択肢もあったのでしょうか?
渡辺 いえ、ドラフト1位だったので、すぐに入団を決めました(笑)。いま振り返ると、あの厳しい広岡監督のもとで1、2年目に真剣に野球と向き合えたのはよかったと思っています。そうでなければ、私は遊びほうけていたかもしれません(笑)。そもそも、広岡監督が私に目を留めていなければ、西武に入団することもなかったかもしれません。
── それはどういう意味ですか?
渡辺 西武は1983年に日本一になっていたので、ドラフトの指名順は12球団中最後でした。1位では4球団が競合した東海大の高野光投手(のちにヤクルト)が外れ、次をどうするかとドラフト会場で根本陸夫管理部長らと相談していたそうなんです。
── 指名リストを見ながら話していたんですね。
渡辺 その時、広岡監督が「最上位にリストアップされている前橋工の渡辺を指名しなくていいのか?」と尋ねたそうです。「えっ、渡辺久信ってまだ残ってたっけ? なら、渡辺でいこう!」といったやり取りがあったと聞きました。
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著者プロフィール
飯尾哲司 (いいお・てつじ)
静岡県生まれ。『週刊ベースボール』編集部出身。野村克也氏『私の教え子ベストナイン』『リーダーとして覚えておいてほしいこと』、元横浜高野球部長・小倉清一郎氏『小倉ノート』をはじめ、書籍の企画・取材・著書多数。プロ野球現場取材歴35年。早稲田大学大学院修士課程修了。学術論文「エリートアスリートはなぜセカンドキャリアで教員を選択したのか:プロ野球選手とJリーガーの事例をもとに」(スポーツ産業学研究, Vol.33, No.1, p.63-73,2023.)