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渡辺久信が感謝する広岡達朗との出会い 「厳しい監督のもとで1、2年目に真剣に野球と向き合えた」 (2ページ目)

  • 飯尾哲司●文 text by Iio Tetsuji

── 一軍に引き上げてくれたのも広岡監督だったとか。

渡辺 はい。広岡監督はよく二軍の試合を視察に来られていました。私は二軍では打たれることが多くて、当時の二軍監督には「カーブもまともに投げられない渡辺を一軍に上げるわけにはいかない」と言われていました。

 それでも広岡監督はさまざまな理由をつけて、私を無理やり一軍に上げてくれたんです。当然、二軍の先輩投手たちは面白くなかったようで、ふてくされていたとか(笑)。私は6月に一軍初登板を果たし、8月には初先発初勝利、それも完投で勝ちました。もともと目立ちたがり屋だったので、観客の多い一軍ではより頑張れたのかもしれませんね(笑)。

【台湾プロ野球は第二の青春】

── 森監督は先程(中編で)「戦力をうまく使いこなしてリードを守り切る手堅い野球」だとお伺いしました。では、東尾監督の野球はいかがでしたか?

渡辺 東尾監督は現役時代から一緒に投げていた方です。勝負どころでの「ここ一番」の勝負強さ、いわば"勝負師"としての姿勢に学ぶところが多くありました。

── 伊東監督についてはどうでしょうか?

渡辺 伊東監督とは、現役時代にバッテリーを組ませていただきました。監督時代には、私は二軍投手コーチや二軍監督を務めています。伊東監督はデータをしっかり頭に入れ、常に「打者の弱点を突く」リードを意識していました。現役時代の配球もまさにそのスタイルでしたね。一方で、ヤクルト時代にバッテリーを組んだ古田敦也捕手は、「投手の長所を引き出す」リードが持ち味で、その点で伊東監督とは対照的な印象を受けました。

── ほかに影響された監督はいらっしゃいますか?

渡辺 野村克也監督です。選手時代、野村監督の「ID野球(データ重視の戦術)」に基づくミーティングに参加し、監督がホワイトボードに書いた内容を自分でノートに書き写していました。私が西武の二軍監督だった頃、野村監督を真似てホワイトボードに要点を書きながらミーティングを行ないました。一軍監督を務めていた時も、「野村ノート」を何度も見返していました。

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