渡辺久信が感謝する広岡達朗との出会い 「厳しい監督のもとで1、2年目に真剣に野球と向き合えた」 (3ページ目)
── 台湾プロ野球で投手兼任コーチをされた経緯について教えてください。
渡辺 1998年にヤクルトを退団し、いくつかのメディアから野球解説者としてのオファーをいただいていて、そちらの道に進む予定でした。ところがある日、東尾監督と食事をしていた際に、「ナベ、台湾プロ野球の郭泰源から連絡があって、投手コーチを探しているらしい。将来、指導者を目指すなら現場で学んでみたらどうだ」と勧められたんです。
── 当時の台湾プロ野球は、日本と比べると発展途上だったと思いますが、実際に体験されていかがでしたか?
渡辺 あの3年間は、まさに"第2の青春"のような時間でした。実際にやってみて、本当に行ってよかったと感じています。練習メニューの作成、先発ローテーションの組み立て、投手交代の判断など、投手陣に関するすべてを、コーチ1年目、当時34歳の私に任せてもらえました。とても大きな学びの場になり、その経験が後に指導者としての原点となりました。
【指導者のあるべき姿とは】
── 渡辺さんは『寛容力〜怒らないから選手は伸びる』という書籍を出されていますね。
渡辺 プロとしての自覚を欠いていれば、もちろん指導は必要です。ただし、昔のように頭ごなしに理不尽に怒鳴るようなやり方は、今の時代には合いません。感情で「怒る」のではなく、愛情を持って「叱る」ということだと思っています。
── 指導者とはどうあるべきでしょうか?
渡辺 大切なのは、選手に気づきを与えることです。指導者が自分の答えを押しつけるのではなく、選手自身が自分なりの答えに気づくよう導いてあげる。それが理想です。なぜなら、選手は十人十色で、指導者の考えが必ずしも正解とは限らないからです。そのためには、指導者自身も常に学び続けなければなりません。野球の知識、体のメカニズムなど、自らを磨き続けることが必要です。
── では、「渡辺野球」とはどのような野球ですか?
渡辺 「コミュニケーション野球」ですね。対話を重ねる野球とも言えます。選手としっかり向き合って、信頼関係を築きながらチームをつくっていく。それが自分のスタイルです。 台湾時代には家庭教師をつけて中国語を学び、言葉の壁を越えてでも意思疎通を図ろうとしました。それくらい選手との対話を大切にしています。
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