NBA伝説の名選手:ケビン・マクヘイル 1980年代のセルティックス王朝を支えたビッグマン (2ページ目)
【存在感を増した1984年NBAファイナル】
宿敵レイカーズと対戦した1984年のNBAファイナルでは、マクヘイルの印象として強く残っている出来事がある。
1勝2敗で迎えたアウェーでの第4戦、マクヘイルはカート・ランビスに激しいファウルを犯し、乱闘騒ぎの原因になるのだが、これには伏線があった。
第3戦を33点差で大敗したあと、バードは「第3戦のあと、チームメイト全員とケンカしたかった。私は彼らを駆り立てるために新聞でできる限りのことをしたんだ。そして何かが変わらなければ、私たちは負けるだろうと知っていた。だから私は(意図的に)彼らを弱虫と呼び、女の子のように遊んでいると(新聞記者たちに)言ったんだ。反発があるかどうかはわからなかったが、気にしなかった」とコメント。激しいファウルは、そのコメントに対する、マクヘイルなりの答えだった。
マクヘイルは後日、このファウルについて「人々はそれが計画されたと言うけど、そうじゃなかった。前もって考えていたら、マジック(・ジョンソン)か、カリーム(・アブドゥル=ジャバー)か、(ジェームズ・)ウォージーにやっていた。彼らはランビスよりもはるかに重要だから」と語っている。真意は本人のみぞ知るということかもしれないが、セルティックスの闘争心に火をつけたという点で、このファウルは大きな意味があった。
延長の末、第4戦に勝利してシリーズを2勝2敗のタイにしたセルティックスは、ホームでの第5戦、第7戦をモノにして15回目のNBA制覇を達成。キャリア2度目の頂点に立ったマクヘイルは第5戦で19得点、10リバウンドのダブルダブルを達成するなど、チームに欠かせない戦力であることを証明した。
1984−85シーズン序盤、マックスウェルが膝を故障したことで、マクヘイルは先発として出場機会を得た。1985年3月3日のデトロイト・ピストンズ戦で56点、5日のニューヨーク・ニックス戦で42点と大爆発するなど、マクヘイルは20点、10リバウンド以上のダブルダブルを量産。NBAファイナルでは宿敵レイカーズに2勝4敗で敗れ2連覇を阻まれたが、マクヘイルは第6戦での32点をはじめチーム最多の平均26得点、10.7リバウンドを記録するなど奮闘した。
マクヘイルのこの活躍により、1985−86シーズン開幕前にセルティックスはマックスウェルをロサンゼルス・クリッパーズにトレード。マクヘイルは先発に定着し、クリッパーズからやってきたMVP受賞経験のあるセンターのビル・ウォルトンがシックススマンを務めたセルティックスは、67勝15敗とNBA最高成績でプレーオフに進出。平均21.6点を記録したマクヘイルは2度目のオールスターに選出に加え、オールディフェンシブ・ファーストチームを初めて受賞する。
プレーオフでは1回戦からNBAファイナルまですべてのシリーズで21点以上を記録し、ロケッツとのファイナルでは平均25.8点で優勝に大きく貢献したことで、NBA屈指のパワーフォワードであることを証明した。
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