浦和レッズのリーグ初優勝から19年 坪井慶介の後悔「2度目の優勝をもたらせなかった」
【新連載】Jリーグ語り草(1)
坪井慶介の2006年
「浦和レッズ初優勝。史上初ホーム無敗の舞台裏」後編
◆坪井慶介・前編>>「小野伸二でさえベンチに回ることも珍しくなかった」
◆坪井慶介・中編>>「2006年の浦和レッズはなぜ強かったのか」
2006年シーズンのJ1リーグ最終節、2位ガンバ大阪との優勝をかけた直接対決。埼玉スタジアムには当時のJ1リーグ最多記録となる62,241人のサポーターが駆けつけた。
試合はG大阪に先制を許すも、その後に逆転して終盤へ。左ひざのじん帯を痛めていた坪井慶介は、ベンチから優勝の瞬間を待った。しかしその時、ギド・ブッフバルト監督から、まさかの声がかかる。
ピッチで優勝の瞬間を味わってから19年、坪井が今の浦和に対する思いを語ってくれた。
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埼玉スタジアムで抱き合う闘莉王(左)とワシントン(右) photo by AFLOこの記事に関連する写真を見る 2006年のリーグ初優勝を振り返ってみると、シーズンを通して「これがターニングポイント」という出来事があったわけではありません。ただ、今あらためて感じるのは、誰が出ても結果をしっかりと出せたことが優勝へとつながったんだと思います。
たしかに周囲からは「タレント軍団」と思われていたかもしれません。ですが、実は試合にあまり出られなかった選手たちの「ここぞ」という場面での働きが大きかった。
たとえば、トモちゃん(酒井友之)もそのひとり。(鈴木)啓太が出場停止となった時に代わってピッチに立ち、しっかりと連勝に貢献しました。
また、トモちゃんだけじゃなく、ウチさん(内舘秀樹)やネネ、相馬(崇人)や黒部(光昭)さん、もちろん岡野(雅行)さんも、ですね。出番が限られたなかでもしっかりと準備を整え、チャンスを与えられたら勝利に貢献するパフォーマンスを見せてくれました。
だからやっぱり、日常が大事だったんだと思います。日々の紅白戦のハイレベルな争いが、チーム全体の力を押し上げる要因となっていたはずです。毎日の積み重ねが一歩一歩、優勝に向けて歩みを進めていった。そんなシーズンでしたね。
優勝が現実味を増してきたシーズン終盤になっても、僕らはそんなにプレッシャーを感じていなかったと思います。31節に名古屋に負けて(0-1)、勝てば優勝が決まった33節のFC東京戦では勝ちきれなく(0-0)、結果的に最終節までもつれ込むことになってしまいましたが、初優勝の重圧にさいなまれることはありませんでした。
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著者プロフィール
原山裕平 (はらやま・ゆうへい)
スポーツライター。1976年生まれ、静岡県出身。2002年から『週刊サッカーダイジェスト』編集部に所属し、セレッソ大阪、浦和レッズ、サンフレッチェ広島、日本代表などを担当。2015年よりフリーランスに転身。