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闘莉王、大久保嘉人、ネイマール...元トップレフェリー西村雄一を成長させたレジェンド選手たち

  • 戸塚 啓●取材・文 text by Totsuka Kei

勇退・西村雄一が語る「23年間のレフェリー人生」(後編)

◆西村雄一・前編>>ワールドカップでの一発レッドカード「あれを見逃していたら...」

 サッカーの試合は、選手だけでは成立しない。

 ルールの遵守を促す審判員の存在が不可欠だ。そして、選手と審判は互いを高め合う存在である。

 Jリーグ、リーグカップ、天皇杯で通算688試合を担当した西村雄一にも、レフェリーとしての成長を促してくれた選手がいる。

 そのひとりが、田中マルクス闘莉王だ。

試合後に握手を交わす西村雄一レフェリーと闘莉王 photo by Getty Images試合後に握手を交わす西村雄一レフェリーと闘莉王 photo by Getty Imagesこの記事に関連する写真を見る「ある試合で闘莉王さんのチームの若い選手が、僕に食ってかかってきたんです。その瞬間、闘莉王さんが間に入って、『ごめん、西村さん。俺があいつをコントロールするから』と言ってくれまして。

 チームの主軸で代表選手の闘莉王さんに言われれば、チームメイトは『ちゃんとやらなきゃ』となります。僕がマネジメントするよりも、チームのキーマンにマネジメントしてもらったほうが、試合はスムーズに進むということに気づかせてもらいました」

 レフェリーが1シーズンに同じチームの試合を担当するのは、1、2試合に限られる。5年でおよそ10試合、10年でもおよそ20試合である。その間に物議をかもすような判定がひとつでもあれば、それまで築き上げてきた信頼に傷がついてしまう。負けたら終わりのトーナメントのような位置づけで、西村はすべての試合に臨んでいったのだ。

「年数を重ねていくことで、闘莉王さんに限らず各チームの主軸の方々と、試合前に会話ができる関係になっていきました。『今日のゲームは難しくなるから、絶対に来てくれると思っていましたよ』と言われたこともあります。選手と一緒に試合を創り上げるというのは、こういうことなんだなと感じました」

 大久保嘉人との関わりも、西村の胸に刻まれている。

 警告数はJ1最多、退場数は同2位という元日本代表FWには、やんちゃなイメージがつきまとった。ところが、西村の印象は違うのである。

「僕自身も『あれ、どうなのっ!』と威勢よく言われたことがありますが、正直に『こうでした!』と伝えると『そうでしたか』とパッと引く。ズルズル引きずらない方ですね。

 嘉人さんは思ったことパンッと言っていただけるので、何も言わない場面は納得感が得られているのだなと、確証を得ながらゲームを進めることができました」

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著者プロフィール

  • 戸塚 啓

    戸塚 啓 (とつか・けい)

    スポーツライター。 1968年生まれ、神奈川県出身。法政大学法学部卒。サッカー専誌記者を経てフリーに。サッカーワールドカップは1998年より7大会連続取材。サッカーJ2大宮アルディージャオフィシャルライター、ラグビーリーグワン東芝ブレイブルーパス東京契約ライター。近著に『JFAの挑戦-コロナと戦う日本サッカー』(小学館)

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