稲本潤一がJリーガーになってうれしかったこと 「わざわざジョルジーニョのほうにボールを取りに行きました」
稲本潤一のナンバー1【Jリーグ編】
印象的な試合・頼れる仲間・衝撃を受けた選手
◆稲本潤一【日本代表編】>>「ジダンには何もさせてもらえなかった」
◆稲本潤一【海外クラブ編】>>「ドログバはパワーと決定力は図抜けていた」
28年間のプロサッカー選手人生で、稲本潤一が所属したJリーグのクラブは4チーム。
プロデビューを果たした1997年からアーセナルに移籍した2001年まではガンバ大阪、9年半の海外生活を経て戻ってきた2010年から2014年までは川崎フロンターレ、2015年から2018年までは北海道コンサドーレ札幌、そして2019年から2021年までがSC相模原だ(2022年から引退する2024年まで所属した南葛SCは関東サッカーリーグ1部)。
日本でプレーした時期の通算は、実に16シーズン半にも及ぶ。所属したカテゴリーも、J1からJ3までさまざまだ。いずれのクラブでも、間違いなく爪痕を残し、ファンに愛されてきた。
日本代表編、海外クラブ編に続き、インタビュー後編ではJリーグでの思い出を振り返り、「印象に残っている試合」「頼りになったチームメイト」「対戦相手で衝撃を受けた選手」を語ってもらった。
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稲本潤一にJリーグの昔話を思い出してもらった photo by Sano Mikiこの記事に関連する写真を見る── 次はJリーグ時代について。まずは印象に残っている試合について聞かせてください。
「Jリーグのデビュー戦(1997年4月12日/万博記念競技場)ですね。ベルマーレ平塚との試合で、たしか4-1で勝ったんじゃないかな」
── 当時のJリーグ最年少出場(17歳6カ月)を記録した試合ですね。
「そうですね。そういう記録もありますし、たぶんアシストもしていると思うんですよ。松波(正信)さんに。
それで(パトリック・)エムボマがすごく喜んで、ハグしてくれた記憶があります。そのあとに彼はものすごいシュートを決めるんですけどね(笑)。そういうシーンも含めて、印象深い試合ですね」
── ピッチに立つ時は緊張しなかったんですか。
「その前にナビスコカップの試合(1997年3月8日)を経験していたので、緊張はそんなにしなかったですね。それに、当時のガンバは注目されていたわけじゃないし。エムボマの存在だけが際立っていたので、僕はその陰に隠れる形でひっそりとがんばっていました(笑)」
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著者プロフィール
原山裕平 (はらやま・ゆうへい)
スポーツライター。1976年生まれ、静岡県出身。2002年から『週刊サッカーダイジェスト』編集部に所属し、セレッソ大阪、浦和レッズ、サンフレッチェ広島、日本代表などを担当。2015年よりフリーランスに転身。