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稲本潤一がJリーガーになってうれしかったこと 「わざわざジョルジーニョのほうにボールを取りに行きました」 (3ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei

【ヴェルディの選手への憧れ】

── それでは最後に、Jリーグ時代に衝撃を受けた選手を教えてください。

「若い頃の話になりますが、鹿島のジョルジーニョは衝撃を受けたというよりも、テレビで見ていた選手と対戦できるうれしさがありました。わざわざジョルジーニョのほうに、ボールを取りに行きましたから。取れたかどうかは覚えてないですけど。

 ほかにも、ビスマルクもうまかった。チーム自体が強かったから、あの頃の鹿島のブラジル人選手の印象は強いですね。

 あと、ジュビロのドゥンガもそう。ワールドカップに出ていた選手は、キャラクターが強かった記憶があります。ドゥンガは常に怒っていましたから(笑)。当時はジュビロも強かったですけど、めちゃくちゃ怒っているんですよ。あんな強いのにって思いながら。あれは衝撃でした」

── ちなみに、プロになる前に憧れていた選手はいますか。

「やっぱりヴェルディの選手への憧れはありました。カズさん(三浦知良)だったり、ラモス(瑠偉)さんだったり、それこそビスマルクもいましたね。すげえなって思いながら試合を見ていましたし、あのサッカーに触れながら育ってきたので。

 だから、ラモスさんと対戦した時もすごくうれしかったです。試合前のアップを見ていたら、スパイクを履かずに普通のシューズでアップしているんですよ。さすがに裸足ではなかったですけど(笑)、スパイク履かないんやって。そんなに身体動かさなくていいんやなって思いながら見ていました。

 もちろん、カズさんと対戦した時も。テレビで見ていた人たちと試合をする時は、やっぱりうれしかったですね」

── ガンバの選手では、いないのですか。

「ガンバはいないですね。あの頃は今のイメージとは違って、タイトルを獲るようなチームではなかったので。今のようなブランド力のあるチームになってくれたことはうれしいなと感じますね」

<了>


【profile】
稲本潤一(いなもと・じゅんいち)
1979年9月18日生まれ、大阪府堺市出身。1997年、ガンバ大阪の下部組織からトップチームに昇格し、当時最年少の17歳6カ月でJリーグ初出場を果たす。2001年のアーセナル移籍を皮切りにヨーロッパで9年間プレーしたのち、2010年に川崎フロンターレに加入。その後、北海道コンサドーレ札幌、SC相模原を経て、2024年に南葛SCで現役引退。日本代表として2002年から3大会連続でワールドカップ出場を果たす。国際Aマッチ出場82試合5得点。ポジション=MF。181cm、77kg。

著者プロフィール

  • 原山裕平

    原山裕平 (はらやま・ゆうへい)

    スポーツライター。1976年生まれ、静岡県出身。2002年から『週刊サッカーダイジェスト』編集部に所属し、セレッソ大阪、浦和レッズ、サンフレッチェ広島、日本代表などを担当。2015年よりフリーランスに転身。

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