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稲本潤一がJリーガーになってうれしかったこと 「わざわざジョルジーニョのほうにボールを取りに行きました」 (2ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei

【山本真希は使い勝手がよかった】

── 17歳の少年がプロの舞台に立つというのは、かなり衝撃的でした。

「あの頃はチームがちょうど若返りをした時代なんですよ。たしか1996年から1997年あたりで、ガンバの選手が大幅に入れ替わったんです。なので、僕にとってはすごくいいタイミングではありましたね。

 あの年は1シーズン、ほぼ試合に出られましたし、まだ高校生だった僕にとってはありがたかったです。プロ契約も結んでいなかったし、お金ももらってなかったので、何のプレッシャーもなく伸び伸びとやっていましたよ」

── 周りは大人ばかりですが、チームメイトの関係性はどういったものでしたか。

「本当にかわいがってもらいましたよ。まだ高校生なので電車を使っていたんですけど、練習や試合後に駅までクルマで送ってくれたりして、本当に先輩方にはお世話になりました」

── それでは頼りになったチームメイトを教えてください。

「ガンバじゃなくて、フロンターレ時代なんですけど、山本真希とはやりやすかったですね。彼は2013年にフロンターレに来たんですけど、縦にも横にもすごく動いてくれて、いろいろとカバーしてくれました。

 言い方は悪いですけど、使い勝手がよかった(笑)。いい関係性を築けていたし、それがチームの結果にもつながりましたから。その年はリーグ3位になったんですよ。だから真希と一緒にやったそのシーズンは、すごく楽しくできた1年でしたね」

── 日本代表、海外クラブと同様に、やはりボランチのパートナーが印象深いわけですね。

「そうですね。当時は(中村)憲剛もいたし、レナトもいたし、(大久保)嘉人もいて、(大島)僚太が出始めの頃だったんですけど、彼なんてみるみるうまくなっていくからビックリしましたよ。でも、やっぱり真ん中で一緒に組む選手っていうのが、僕にとって大事な存在なんです。

 別にやりにくい選手がいたわけではないですけど、自分が気持ちよくプレーできる選手の存在はすごく印象に残りますね。その意味で、真希とはすごくいいコンビが組めたと思います」

── 山本さんとの印象的なエピソードはありますか。

「真希が引退する時に連絡をくれて、その時に『2013年は楽しかったですね』みたいなメッセージが来たんですよ。『お前もそう思ってたんか!』って。

 それまでそんなこと、話したことがなかったのに、向こうもそう思ってくれていたことはうれしかったですね。あいつはただひたすら、僕の周りを走ってくれていただけなんですけど、今となってはその献身に感謝したいと思います」

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