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稲本潤一が衝撃を受けたジダンとの1対1 「何もさせてもらえなかった。削るヒマもないくらい」

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei

稲本潤一のナンバー1【日本代表編】
印象的な試合・頼れる仲間・衝撃を受けた選手

 ガンバ大阪で当時史上最年少でのJリーグデビューを果たし、若くして名門アーセナルに移籍。2002年の日韓ワールドカップでは2ゴールを挙げて、一躍、時の人となった。

 海外クラブはイングランドを皮切りに、ウェールズ、トルコ、ドイツ、フランスを経験。日本に帰国後も印象的なパフォーマンスを続けた稲本潤一が、2024シーズン限りで現役生活にピリオドを打った。

 あまたの経験を積み重ねてきた日本サッカー界のレジェンドに「印象に残っている試合」「頼りになったチームメイト」「対戦相手で衝撃を受けた選手」の3つのテーマで、現役時代を振り返ってもらった。

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稲本潤一が日本代表で最も覚えているシーンは? photo by Sano Miki稲本潤一が日本代表で最も覚えているシーンは? photo by Sano Mikiこの記事に関連する写真を見る── 2024年12月に現役引退を発表し、今年からは川崎フロンターレU-18のコーチに就任しました。新しい生活はいかがですか。

「U-18は基本的に平日の夜練習が中心なので、生活リズムが変わったのと、身体を動かすことがないのは、やっぱり少し違和感がありますね。まだコーチを始めてあまり時間が経っていないので、今は指導者とはどういうものかを探りながら、自分の役割を見定めている感じですかね」

── 選手時代とは異なる難しさもありそうですね。

「そうですね。たとえば監督がどういうことをやりたいのか、選手たちに対してどういうことを言えばいいのか、人に対する向き合い方は、現役の時に比べたら考えることが多いですね。今までなかったことなので新鮮ですし、まずは様子をうかがいながら、自分なりの価値観を築いているところです」

── なぜ、川崎フロンターレだったのですか?

「やっぱり、しっかりとした組織が成り立っていますし、目指すサッカーであったり、理念というのがしっかりとあるので。あとは、家族の問題も含めていろんなものを総合して、フロンターレでの指導を希望させてもらいました。指導者として新たなスタートを切る自分を求めてくれることにも感謝したいです」

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著者プロフィール

  • 原山裕平

    原山裕平 (はらやま・ゆうへい)

    スポーツライター。1976年生まれ、静岡県出身。2002年から『週刊サッカーダイジェスト』編集部に所属し、セレッソ大阪、浦和レッズ、サンフレッチェ広島、日本代表などを担当。2015年よりフリーランスに転身。

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