稲本潤一が衝撃を受けたジダンとの1対1 「何もさせてもらえなかった。削るヒマもないくらい」 (2ページ目)
【ヒデさんはまるで苦にしていなかった】
── 指導者としての将来的な目標はありますか。
「監督になりたいという目標はありますけど、まずはライセンスを取りにいく作業をしないといけないですから。次がA級なので、それを取ったうえでS級を取得したいという気持ちが生まれるのかどうかですよね。(中村)憲剛みたいに、毎年(次のレベルに)上がっていくようなペースではできないと思うから、自分なりのペースで取りにいけたらなと思っています」
── 今回のインタビューは、現役時代で「印象に残っている試合」「頼りになったチームメイト」「対戦相手で衝撃を受けた選手」の3つのテーマを、「日本代表」「海外クラブ」「Jリーグ」の3つのカテゴリーごとに挙げていただく趣旨となっています。
「ってことは、全部で9個ですか。けっこうありますね。そんなに思い出せるかな(笑)」
── なんとか、お願いします(笑)。まずは日本代表で最も印象に残っている試合を教えてください。
「代表で言うと、フランスに0-5で負けた試合ですね。あれは衝撃でした」
── 2001年の「サンドニの悲劇」ですね。
「当時最強のフランスと、しかも相手のホームでの試合なので、ある意味では当たり前な結果だったとは思うんですけど、ここまでレベルの差があるのかと。かなりショックでしたし、自分のキャリアの分岐点になった試合でしたね。
ヒデさん(中田英寿)だけはやれていましたけど、僕に関してはまったくかなう気がしなかった。ピッチ状態も悪かったですけど、すでに海外でプレーしていたヒデさんはまるで苦にしていなかった。その意味でも、海外でやることの重要性をあらためて感じた試合でした」
── それからしばらくして、アーセナルからオファーが届きます。この試合が契機に?
「いや、実はあの試合にヨーロッパのクラブのスカウトや代理人がけっこう来ていたんですけど、まるで引っかからなかったっていう(笑)。
結局、その年にヨーロッパに行けたのでよかったですけど、今と比べて当時は日本人選手が海外から見られる機会はあまりなかったので、向こうのスカウトの人もかなり興味を持ってくれていたはずなんですよ。まあ、あの試合のパフォーマンスでは、さすがに無理でした」
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