闘将ローター・マテウスは煙たがられていた マラドーナとピクシーを苦しめ、クリンスマンとは犬猿の仲
世界に魔法をかけたフットボール・ヒーローズ
【第7回】ローター・マテウス(ドイツ)
サッカーシーンには突如として、たったひとつのプレーでファンの心を鷲掴みにする選手が現れる。選ばれし者にしかできない「魔法をかけた」瞬間だ。世界を魅了した古今東西のフットボール・ヒーローたちを、『ワールドサッカーダイジェスト』初代編集長の粕谷秀樹氏が紹介する。
第7回のヒーローは「ドイツの闘将」をピックアップ。ローター・マテウスだ。ワールドカップに5度も出場し、約20年にわたってドイツ代表に君臨した「鉄人」の素顔に迫る。
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ローター・マテウス/1961年3月21日生まれ、ドイツ・エアランゲン出身 photo by AFLOこの記事に関連する写真を見る カタカナ表記は難しい。
サー・アレックス・ファーガソン体制下のマンチェスター・ユナイテッドをスーパーサブとして支えたオーレ・グンナー・スールシャールは、ソーシャーかソルスキアか。レアル・マドリードとフランス代表のスピードスターはキリアン・エムバペで定着しつつあるものの、本人は「ムベッパが近いかな」と語っていた。
欧米のメディアは、日本人の名前に四苦八苦している。中田英寿はイタリアで活躍していた当時、ナーカタ、ナカータ、ナカターと媒体によって表現が違い、プロゴルファーの青木功はアイサオ・エイオキ、岡本綾子はエイヤコ・"オカモロ"と呼ばれる時期があった。
「カガワーでもカガーワでもない、カガワ、とフラットに呼ぶんだ」
香川真司はマンチェスター・Uで同じ釜の飯を食ったリオ・ファーディナンドのナイスなアシストにより、正しく発音されていた。
ローター・マテウス(Matthaus)も同様だ。マットハウス、マトヘイス、マタウツ......。笑い話でも作り話でもなく、40年以上も前のせつない事実である。
ボルシアMGの下部組織で育ち、将来を嘱望されていたにもかかわらず、マテウスは1984年の夏にバイエルンに移籍する。
当時の2チームは宿命のライバルだった。ともにブンデスリーガをリードする巨頭であり、ボルシアMGが『PUMA』、バイエルンが『adidas』のユニフォームを着用。非常にわかりやすい対立の構図だ。
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著者プロフィール
粕谷秀樹 (かすや・ひでき)
1958年、東京・下北沢生まれ。出版社勤務を経て、2001年
、フリーランスに転身。プレミアリーグ、チャンピオンズリーグ、 海外サッカー情報番組のコメンテイターを務めるとともに、コラム 、エッセイも執筆。著書に『プレミアリーグ観戦レシピ』(東邦出 版)、責任編集では「サッカーのある街」(ベースボールマガジン 社)など多数。