【選抜高校野球】横浜高の新怪物・織田翔希の後を受けて躍動した奥村頼人 父親は知る人ぞ知る名指導者
頼れる人。その名のとおり、頼もしいプレーぶりだった。
3月19日、多くの野球ファンは、新たな怪物候補・織田翔希(横浜)の甲子園デビューに釘付けになったはずだ。
センバツ1回戦の横浜対市和歌山戦。新2年生の織田は甲子園で自己最速の152キロをマーク。軽い力感でも加速していくストレートは、スタンドの観衆をどよめかせた。
初戦の市和歌山戦で投打に活躍した横浜高・奥村頼人 photo by Ohtomo Yoshiyukiこの記事に関連する写真を見る
【エースで4番の重責】
横浜が4対2で勝利した試合後、織田は多くの報道陣に囲まれている。だが、この試合のMVPは別にいた。
打っては3安打1打点。投げては織田の後を受け、4回を無安打無失点で5奪三振を奪った奥村頼人(新3年)である。特に投球は2点差と追い上げられた展開での火消しだっただけに、価値が高かった。
「バッティングはバッティング、ピッチングはピッチングで分けて考えています。自分のやることに集中してできました」
名門・横浜のエースナンバーを背負うだけでなく、今春は4番打者の重責まで担っている。日頃は投手と野手、それぞれどんな配分で練習しているのか。奥村に聞いてみた。
「五分五分ですね。朝練はピッチャーのメニューで、放課後はピッチャーとバッターの両方。その後、自主練でバッティングをしています」
思わず「体力的に大変なのでは?」と聞くと、奥村は「いえ、どっちも好きなので楽しくやっています」という答えが返ってきた。
その充実した表情には、「野球が好きでたまらない」という思いがにじみ出ていた。
そんな奥村の一途さと芯の強さを象徴するエピソードがある。小学5年時の「家出事件」だ。「話せば長くなるんですけど」と苦笑する奥村に、顛末を語ってもらった。
「野球をして遅くに家に帰ったら、母から怒られて『ウチの子じゃない』と言われたんです。そこで『新しいお母さんを探しに行く』と家出しました。彦根城のほうまでひたすら歩いて(奥村は滋賀県出身)、あとで計算したら30キロくらいになっていました。すでに捜索されていて、見つかるのがあと1分遅かったら全国放送されるところだったらしいです。父になんで家出したのか聞かれて、『新しいお母さんを探しに行っていた』と言ったら、『俺も誘ってよ』と言われました」
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著者プロフィール
菊地高弘 (きくち・たかひろ)
1982年生まれ。野球専門誌『野球小僧』『野球太郎』の編集者を経て、2015年に独立。プレーヤーの目線に立った切り口に定評があり、「菊地選手」名義で上梓した『野球部あるある』(集英社/全3巻)はシリーズ累計13万部のヒット作になった。その他の著書に『オレたちは「ガイジン部隊」なんかじゃない! 野球留学生ものがたり』(インプレス)『巨人ファンはどこへ行ったのか?』(イースト・プレス)『下剋上球児 三重県立白山高校、甲子園までのミラクル』(カンゼン)など多数。