藤浪晋太郎は大阪桐蔭に入学早々、同級生・澤田圭佑の投球に「なんじゃこれは!」 実家に電話し「1番は無理かもしれん」
大阪桐蔭初の春夏連覇「藤浪世代」のそれから〜藤浪晋太郎 全4回(2回目)
#1:大阪桐蔭かPL学園か 藤浪晋太郎は高校進学の際、2校で迷っていた
大阪桐蔭に入学すると、誰もがまず先輩たちのレベルの高さに「鼻をへし折られた」と口を揃えるが、藤浪晋太郎に現実を突きつけたのは愛媛西シニアから入学してきた同級生の澤田圭佑(ロッテ)だった。
大阪桐蔭1、2年時は甲子園に縁がなかった藤浪晋太郎 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る
【同級生の投球に驚愕】
「ほんと衝撃でした。シートバッティングの時、何人かの1年生はキャッチャーの後ろにネットを立てて、ボール出しとか審判をするのですが、自分もそこにいたんです。その時に投げていたのが澤田だったんですけど、カットボールがとにかくエグくて......。もう漫画のような鋭い曲がりの軌道で、『なんじゃこれは!』って。まあ、エグかったです」
140キロ前後のストレートも力強く、自身の最速142キロのボールよりも速く感じたという。この衝撃からまもなく、実家に電話をした際、藤浪は母にこう言ったという。
「1番(エース)は無理かもしれん」
しかしここから、藤浪は周囲の予想を上回るベースで成長。練習試合でのピッチングも評価され、夏の大阪大会でメンバー入りを果たす。
公式戦初登板は、豊中ローズ球場での吹田との2回戦。17対1で大勝した最後の2イニングを無失点で投げ終えた。試合後、場外を歩きながら監督の西谷浩一にマウンド上ではさらに高さが際立っていた1年生投手について聞くと、ニヤリとした表情を浮かべてこう返してきた。
「真っすぐの回転が少し汚くて、あの身長。僕のなかのイメージは、ゲイルです。わかります? ゲイルです、ゲイル」
少年時代は掛布雅之のポスターを部屋に貼るなど、阪神ファンでもあった西谷が会心の笑みで口にしたのは、1985年の日本一の立役者、リッチ・ゲイルだった。
結局、この夏の大阪桐蔭は3回戦で敗れ、早々とトーナメントから姿を消したが、秋には藤浪が実質主戦投手となり、大阪大会を制覇。しかし、ひとつ勝てば翌春の選抜大会出場が濃厚と見られていた近畿大会で、兵庫の公立校である加古川北にまさかの初戦敗退。
「井上真伊人(まいと)さんですね。緩い高めのカーブを打てなくて......」
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著者プロフィール
谷上史朗 (たにがみ・しろう)
1969年生まれ、大阪府出身。高校時代を長崎で過ごした元球児。イベント会社勤務を経て30歳でライターに。『野球太郎』『ホームラン』(以上、廣済堂出版)などに寄稿。著書に『マー君と7つの白球物語』(ぱる出版)、『一徹 智辯和歌山 高嶋仁甲子園最多勝監督の葛藤と決断』(インプレス)。共著に『異能の球人』(日刊スポーツ出版社)ほか多数。