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藤浪晋太郎は大阪桐蔭に入学早々、同級生・澤田圭佑の投球に「なんじゃこれは!」 実家に電話し「1番は無理かもしれん」 (2ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro

 長くインプットされていたであろう、相手エースの名をつぶやいた。味方打線が3安打に封じられ、投げては藤浪が2回に一発を浴び、6回には暴投で追加点を許し、12三振を奪うも0対2の完敗。目の前に浮かんでいた甲子園が消えた。

 2年夏も大阪大会決勝まで進むも、「3年間で一番悔しかった」と振り返った試合は、東大阪大柏原に6対7と逆転負け。またしても、あと一歩のところで甲子園を逃した。

【心に火をつけた指揮官からの激励】

 そして最上級生となった新チームの秋。因縁の東大阪大柏原を藤浪が2安打完封で下し、2年連続の近畿大会出場を決めると、初戦で神港学園(兵庫)を下してベスト8。選抜出場はほぼ手中にした。

 だが、準々決勝で藤浪が天理(奈良)打線に打ち込まれ4対8と敗退。消化不良のまま大会を終えることになったが、ここで藤浪の心に火をつける出来事があった。西谷の証言だ。

「天理に負けたあと、たまたま泉北ボーイズの会長に会って、言われたんです。『オレは晋太郎を小さい頃からずっと見ているからわかる。アイツはええやつや。でも、ここ一番で勝てへんヤツなんや。あんた、いつまで晋太郎と心中するつもりや。監督クビになるで』と。寮に戻るとすぐに藤浪にこの話をしました。『こんなこと言われて悔しくないか? オレは悔しい。絶対に日本一になって見返すぞ!』という話をしましたね」

 西谷の心にも火をつけたこの日のやりとりは、藤浪もはっきりと記憶していた。

「夜に寮の部屋に呼ばれて、西谷先生からこの話をされました。『オレは悔しい』という言葉にグッときましたね。『おまえを信頼している』とか『頼むぞ』とかじゃなく、『オレは悔しい。おまえは勝てないヤツやない』って。話の最後には『今度の選抜はおまえの人生が変わる大会になるぞ』とも言われて、絶対に勝つと気合いが入ったのを覚えています」

 大阪桐蔭で迎えた2度目の冬。練習グラウンドの一塁側奥にあるブルペンでは、連日不似合いな言葉が飛び交っていた。

「やり投げやないぞ、背負い投げや背負い投げ! そうや、その感じや!」

 声の主は西谷。遠い日のやりとりの真意を藤浪が明かした。

「冬場にフォームを修正して球質を上げようと取り組むなかで、テイクバックからリリースの際に腕の回転半径が大きくならず、小さいなかで右肩と左肩を入れ替える。そんなイメージでの"背負い投げ"でした」

 エースと指揮官がブルペンで格闘する一方、チームは「春夏連覇」を合言葉に厳しい練習を行なっていた。

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