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藤浪晋太郎は大阪桐蔭に入学早々、同級生・澤田圭佑の投球に「なんじゃこれは!」 実家に電話し「1番は無理かもしれん」 (3ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro

【幻の副キャプテン】

 藤浪の同級生たちは「ひとつ上の代のほうがはるかに強かった」と口を揃えるが、この代は前チームには不足していたまとまりがあった。連覇のあと、主将の水本弦、副主将の白水健太、澤田圭佑の3人が機能していたという声があちこちから聞こえてきたが、その話を振ると藤浪が自虐的な物言いでつぶやいた。

「自分も副キャプテンだったんです。誰も覚えてないと思いますけど」

 藤浪が副主将だったという話はたしかに聞いたことがあったが、高校時代を振り返っても、ほかの選手たちに指示しているような場面を一度も見たことがない。

「西谷先生も、今となっては指名したことすら覚えているかどうか。水本がキャプテン、白水が副キャプテンで動き出して、それから少し経った時に自分と澤田に『おまえたちも副キャプテンをやってくれ』と言われたんです。でも、自分があまりに何もしなかったので、西谷先生のミーティングでも『みんなでキャプテンの水本、副キャプテンの白水、澤田を盛り立ててやってくれ』となって、『えっ、オレ入ってへんやん』みたいな......。いつの間にか、みんなの記憶からも消えて、触れられなくなった歴史があります(笑)」

 たしかに、藤浪はリーダータイプには見えない。

「まったくそのとおりで、人の上に立って指示する人間じゃないということはわかっています。自分は隙も見せるし、たまにひと息つきたいタイプでもあるんで」

 練習ではいっさい抜くことをしない藤浪だが、ここは正当な自己評価なのだろう。ではなぜ、そんな藤浪を西谷は指名したのだろうか。藤浪の推測はこうだ。

「マイペースすぎたんで、自覚を促したかったんじゃないですかね。あと、キャプテン投票の時に"藤浪"と書いたのがひとりいたらしく、西谷先生から『藤浪にキャプテンをやらせたらもっと変わると思う、というヤツもおる。ここで変わってみせろ』と言われたことがありました。でも、それだけは西谷先生の言葉をもってしても、まったく響かなかったです(笑)」

 副主将・藤浪は機能しなかったが、チームは春の頂を目指し、厳しい冬のなか鍛錬を続けた。

(文中敬称略)

つづく

著者プロフィール

  • 谷上史朗

    谷上史朗 (たにがみ・しろう)

    1969年生まれ、大阪府出身。高校時代を長崎で過ごした元球児。イベント会社勤務を経て30歳でライターに。『野球太郎』『ホームラン』(以上、廣済堂出版)などに寄稿。著書に『マー君と7つの白球物語』(ぱる出版)、『一徹 智辯和歌山 高嶋仁甲子園最多勝監督の葛藤と決断』(インプレス)。共著に『異能の球人』(日刊スポーツ出版社)ほか多数。

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