ドン底だった大分トリニータを救った片野坂監督。6年間の冒険は天皇杯準優勝で幕を閉じた (2ページ目)
この6年の冒険の旅が、時に困難をともないながらも常にワクワクしたものに感じられたのは、やはり片野坂監督によるところが大きいのだろう。
2008年にはJ1でクラブ史上最高成績である4位となり、ナビスコカップ(現ルヴァンカップ)では初タイトルを獲得した大分も、その後は低迷が続き、2016年にはついにJ3へ降格。かつてのタイトルホルダーは、ドン底まで転がり落ちていた。
しかし、それこそが現在に至る新章の始まりだった。
落ちるところまで落ちた大分だったが、2016年、片野坂監督が新指揮官に就くや、1年目で早くもJ3を制してJ2復帰。続くJ2の関門も2年でクリアし、就任からわずか3年でJ1へと返り咲いた。
結果だけではない。才気あふれる監督に導かれた大分は、J3からJ1へとステップアップする過程において、自らが志向するスタイルをも確立していった。
つまりは、「ポゼッション」や「ポジショナル」など表現こそ変われど、一貫してボールを保持してパスをつなぎ、主体的にゲームを進めるスタイルである。
今季までのJ1在籍3シーズンの順位が、9、11、18位とジリ貧だったにもかかわらず、大分にネガティブな印象がないのは、確固たるスタイルを貫いていたからに他ならない。
何しろ一昨季のJ1再デビュー戦からして、残したインパクトは強烈だった。
開幕戦でいきなり鹿島アントラーズを、それも敵地で2-1と粉砕。優勝候補をスコア以上の内容で圧倒した試合は、大分強し、を印象づけるに十分なものだった。
また昨季第28節で、優勝に王手をかけた川崎フロンターレに足踏みさせた試合も印象深い。勝てば優勝と意気上がる横綱に対し、相手のお株を奪うようなパスワークでゴールをこじ開け、ついには1-0で寄り切っている。
今季最後の試合となった天皇杯決勝にしても、確かに「早い時間に失点してしまったのは悔やまれる」(片野坂監督)が、その後の反撃は鮮やかだった。
システムの修正を図った大分は、ピッチの幅を存分に使ってボールを動かし、何度となく浦和ゴールを脅かした。慌ててボールに食いつく浦和の選手をいなすように、次々とパスをつなぐ様は痛快だった。
2 / 3