ドン底だった大分トリニータを救った片野坂監督。6年間の冒険は天皇杯準優勝で幕を閉じた (3ページ目)
とはいえ、好感の持てる戦いぶりは、裏を返せば、個人の能力をグループや組織で補うことの限界を示していたとも言える。
決定機にはつながらない。多くの時間が大分優勢に見えた後半も、公式記録によれば、シュート数は浦和の6本に対し、大分は3本。うまくボールを動かしてはいても、ほとんど決定機は作れていない。片野坂監督が語る。
「戦い方や戦術はいろいろチャンレンジをしたが、結局はミラーゲームやマンツーマンでマッチアップされたりして、(選手個々の)強度や質で上回られてしまう。そこが足りないから降格したし、今日もタイトルを獲れなかった」
皮肉なことに、いいサッカーをすればするほど、毎年のように主力選手が引き抜かれ、それでも名前や肩書きに関係なく、目指すサッカーに適性の高い選手をそろえて対抗はしてきたが、さすがにDFからFWまで主力をまとめて失っては、手当てが間に合わなかった。天皇杯決勝は、そんな今季を象徴するかのような試合となった。
浦和に冷や汗をかかせた同点ゴールは、今季苦しみ続けた大分が最後に見せた、せめてもの反攻だったのかもしれない。J2降格が決まっているクラブにかける言葉として適切かどうかはともかく、大健闘と言っていい結果だろう。
だが、そんな試合のあとで印象的だったのは、片野坂監督が土壇場で同点に追いついたことを一応は喜びつつも、言葉の端々にパワープレーでしか追いつけなかったこと、すなわち、自分たちが理想として取り組んできたスタイルで追いついたわけではないことへの悔しさを、むしろ強くにじませていたことである。
「セットプレーの流れから(同点ゴールを)つかみとって、追いつくまではいったが......」
「そういう(システムの)修正でボールを動かすことはできたが、(ゴールは)こじ開けられず、最後はパワープレーで......」
結果オーライをよしとはしない。最後の試合を終えてもなお、片野坂監督が示し続けた姿勢に、大分復活の理由を見た気がした。
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