恩返しの「アーセナル学校」。
ベンゲルが日本サッカー界に残したもの

  • 飯尾篤史●取材・文 text by Iio Atsushi

【短期連載・ベンゲルがいた名古屋グランパス (10)】

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1998年に、プレミアリーグとFAカップの2冠を手にしたベンゲル photo by Reuters/AFLO1998年に、プレミアリーグとFAカップの2冠を手にしたベンゲル photo by Reuters/AFLOアーセナルでの再会とインパクト

 本当にここに、クラブハウスがあるのだろうか――。

 ハイウェイ沿いの一本道、殺風景な路地でタクシーを降ろされた中西哲生と平野孝は不安にかられていた。周囲には看板もなければ、目印となるものもない。しかし注意深く見ると、住居が数軒並ぶ脇の小路の先に、黒くて大きな門がある。2人はそこに近づいていった。

 2001年1月、中西と平野はアーセン・ベンゲルに会うために、ロンドン郊外を訪れた。
 
 前年限りで現役生活にピリオドを打った中西は、今後の身の振り方を考えるうえで、まずはトップ・オブ・トップのサッカーを見ておきたい、と考えていた。

「ベンゲルの最後の試合になったレイソル戦の前日、練習が終わった後に『引退したら見に行ってもいいですか』とベンゲルに聞いたら、『いつでも構わない。連絡先はグランパスに伝えておくから』と言ってくれたんです」

 引退を決めたあと、さっそくベンゲルにFAXを送り、訪問の希望を伝えた。それから1、2回やり取りをしたが、最後の返事は届かなかった。

「ベンゲルも忙しいんだろうな、と思って、アポイントに対する正式な承諾を得ないままロンドンに行ったんです。だから、トレーニング場の正確な場所も知らなかったし、本当に受け入れてもらえるのかもわからない。大丈夫かなって不安でしたね」

 一方、当時26歳で、バリバリの現役選手である平野はこのとき、所属する京都サンガがJ2に降格したばかりだった。

「残留すべきかどうか迷っているところでした。それに、自分のプレーにも迷いが生じていて、初心に戻るというか、答えを見つけるためにベンゲルに会いたくて」

 そんな2人が意を決して黒い門のインターホンを押すと、しばらくして門が開き、中に招き入れられた。歩を進めると、右手の駐車場には高級車がずらりと並び、正面には白い建物が建っている。それが、1999年に竣工したアーセナルの新しいクラブハウスだった。

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