「パスは未来へ出せ」。ベンゲルは低迷するグランパスの選手に言った

  • 飯尾篤史●取材・文 text by Iio Atsushi

【短期連載・ベンゲルがいた名古屋グランパス (3)】

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開幕8試合で1勝7敗も、ネガティブな雰囲気はなかった

 1995年3月18日、名古屋グランパスは万博記念競技場に乗り込んだ。

 開幕戦の相手であるガンバ大阪は、過去2年間のリーグ戦で8試合を戦い、1分7敗と分の悪い相手だった。そうした苦手意識が影響したのか、前半13分に右サイドバックの飯島寿久がラフプレーで一発退場を宣告されると、後半44分にはドラガン・ストイコビッチが2度目の警告で退場になるオマケまでついて、1-3の完敗を喫した。

シーズン当初、「勝てる」チーム作りに苦労したベンゲル photo by Getty Imagesシーズン当初、「勝てる」チーム作りに苦労したベンゲル photo by Getty Images

 続くセレッソ大阪戦は2-2からPK戦で敗れ、第3節のジュビロ磐田戦は2-6と大敗。3月29日に行なわれた第4節の浦和レッズ戦は、0-0でPK戦へと突入する。両チーム合わせて28人が蹴り合う壮絶な展開だったが、最後はGK伊藤裕二がギド・ブッフバルトのキックを止めて、なんとか初勝利をもぎ取った。

 だが、勝利の喜びに浸る暇などなかった。3日後の第5節・ベルマーレ平塚戦から4連敗を喫し、4月12日の第8節・サンフレッチェ広島戦を終えた時点で1勝7敗の最下位に沈む。新生グランパスは、スタートでいきなりつまずいた。

「今思えば、問題は3つあったと思います」と指摘するのは、中西哲生である。

「ひとつは、前年までの自信のなさを引きずっていたこと」

 第2節のセレッソ戦のように先制点を奪ったゲームや、第5節のベルマーレ戦のように0-0のまま延長戦へともつれ込んだ試合もあった。だが、過去2年間でチーム内にはびこった"負け犬根性"が拭えず、自信を持って戦えないから最後に力尽きてしまう。この問題は、しばらくアーセン・ベンゲルの頭を悩ませた。

「2つ目は、ベンゲルが選手の能力を把握しきれていなかったこと」

 ベンゲルは毎試合のようにスタメンを組み換えて、最適なポジション、最適な顔ぶれを探っていた。とりわけ、メンバーがコロコロと変わったのが最終ラインだ。開幕から8試合で、飯島、トーレス、平山大、阪倉裕二、加藤泰明、津島三敏、大岩剛と、実に7人の選手がスタメンで起用されたのだ。ディフェンスラインの顔ぶれがこうも変われば、チームのパフォーマンスが安定しないのも当然だろう。

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