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ピクシーのイライラが消えた。
ベンゲルがタクトを振り、選手が応える

  • 飯尾篤史●取材・文 text by Iio Atsushi

【短期連載・ベンゲルがいた名古屋グランパス (6)】

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真価を発揮し始めたストイコビッチ

 右サイドでロングパスを受けたドラガン・ストイコビッチがマークを振り切り、中央へと切れ込んでいく。飛び込んできた相手DFを軽やかなステップで抜き去ると、強烈なシュートをゴール左隅に突き刺した――。

グランパス躍進の中心にいたストイコビッチ photo by AFLOグランパス躍進の中心にいたストイコビッチ photo by AFLO 1995年Jリーグサントリーシリーズ(第1ステージ)第22節・鹿島アントラーズ戦の後半36分、ストイコビッチのスーパーゴールで均衡を破ったグランパスは、その3分後に「8時半の男」――スーパーサブの森山泰行がダメ押しゴールを決め、前回の対戦で0-4と完敗した相手を2-0で撃破した。

 この頃、相手チームが手に負えないほど、ストイコビッチのプレーはキレていた。

 その理由のひとつは、フランスキャンプで充実したフィジカルトレーニングを積めたことにあった。1994年シーズンは見るからに体重オーバーだったが、この時期には体がすっかり絞れ、ベストコンディションを維持していた。

 さらに、チームメイトが自信を持ってプレーするようになり、ストイコビッチの創造性溢れるプレーにもついていけるようになった。それゆえ、味方のプレーにストレスを溜め込むことがなくなったのだ。

 また、フランスキャンプ以降、それまで右サイドハーフを務めていたフランク・デュリックスが中央に配置転換され、デュリックスからストイコビッチに安定したパスが渡るようになったのも大きい。

 アーセン・ベンゲルもストイコビッチに絶大な信頼と敬意を寄せ、エースとしてのプライドを立てた。ストイコビッチがいくら退場になろうと、ベンゲルは彼をかばい続けたのだ。『中日スポーツ』の木本邦彦はこう証言する。

「本人には注意していたと思うけど、少なくとも我々メディアに対して、ベンゲルがピクシー(ストイコビッチ)への文句や苦言を口にすることはなかった。しっかり守っていたんですよ」

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