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駒野友一が語る「忘れられない5試合」 ジーコに初めて招集された夜の衝撃「みんなベッドなのに、僕は畳で...」 (5ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei
  • photo by AFLO

 結局、加地さんが間に合わなかったことで、初戦のオーストラリア戦に出ることになりました。あの試合が今振り返ると、これまでで一番緊張した試合だったと思います」

......【日本vsオーストラリア「1-3」/2006年6月12日/ドイツW杯】

── 先制しながら、終盤の連続失点で1-3と逆転負けを喫してしまいました。

「最後の最後で、オーストラリアの武器でもある高さでやられてしまいました。すごく悔しい試合になってしまいましたね」

── 初めてワールドカップの舞台に立った心境はいかがでしたか。

「ほかの国際試合とはぜんぜん雰囲気が違いましたし、前半45分がこんなに短く感じたのは初めての経験でした。だから、あまり覚えていないんです。だけど、ハーフタイムを挟んでちょっと落ち着いたので、後半は果敢に仕掛けていこうと考えていました。

 でも、積極性は出せたのですが、最後の精度が足りなかった。1本でもFWに合わせられるシーンを作れたら、結果は違っていたかもしれない。それも含め、とにかく悔しい試合でした」

── 逆転された終盤の時間帯、何が起きたのでしょうか。

「人数は日本のほうが揃っていたので、防げた失点だったと思います。どれだけ自陣のゴール前で身体を張れるか、身体を投げ出せるか。のちに映像を見た時、そういう部分が足りていなかったんだなと感じました」

── 試合後の雰囲気はどうでした?

「グループステージは初戦がすごく大事、というのはわかっていたので、勝利に近づきながら最後に逆転負けを喫した時のダメージはありましたね。自分も結果を残せなかった悔しさが大きかったですし、チームの雰囲気も試合のあとはかなり落ちていたと思います」

── あの時のジーコジャパンは「史上最強」と言われ、期待感も大きかったです。結果が出せなかった原因をどのように分析していますか。

「個人のレベルはすごく高かったと思います。でも、やっぱりサッカーはチームスポーツですから。チームとしてどれだけ戦えたのかな......と考えると、そういう部分が足りていなかったのかなと思います」

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