駒野友一が語る「忘れられない5試合」 ジーコに初めて招集された夜の衝撃「みんなベッドなのに、僕は畳で...」 (3ページ目)
── 個人的なパフォーマンスはどうでしたか。
「あの試合に関しては、個人の印象はほとんどないので、いいプレーはしていなかったと思います」
── そのイタリア戦を経験したことで、自身のなかに何か変化はあったのでしょうか。
「それがきっかけというわけではないですけど、世界との差を感じたことで『海外でやりたい!』という気持ちがより強くなりました。Jリーグでプレーするうえでの意識を変えなくちゃいけないな、と思いました」
── アテネ世代の一員としてオリンピックを経験した2年後、ドイツワールドカップのメンバーに入ったのは駒野さんと茂庭照幸選手(FC東京)のふたりだけでした。その意識の変化が次につながったわけですね。
「結果的にそうなりましたね。日常の意識を高めたことがよかったのかなと思います」
── では、ふたつ目の印象に残っている試合を。
「代表デビュー戦となった東アジア選手権の中国戦です。2005年ですね。この大会は国内組で臨んだんですけど、最初の段階ではメンバーに入れなかったんですよ。でもアツさん(三浦淳寛/ヴィッセル神戸)がケガをして、追加招集で入ったんです。それが初代表でした」
......【日本vs中国「2-2」/2005年8月3日/東アジア選手権】
── 選ばれた時の心境は?
「韓国で開催されたんですけど、チームから連絡があって、すぐに韓国に行ってくれと。喜ぶ間もなく、すぐに準備をして飛行機に飛び乗ったので、代表に選ばれた実感は湧かなかったんですよ」
── 実感が湧いたのは、現地に着いてから?
「いや、韓国に着いたら、なぜかホテルの部屋がほかの選手とは違う棟だったんです。みんなが新館とすれば、僕は別館で......みんなはベッドなのに、僕は畳ですよ(笑)。
普通、アツさんがいなくなった部屋に入れるのかな、と思うじゃないですか。でも、違ったんですよね。だから、大会期間中は自分だけ違う棟で寂しく寝ていました。『これが初招集の洗礼なのか......』と思いながら(笑)」
3 / 6