【プロ野球】WBC日本代表・宮城大弥が父と叶えた恩返し「夢をあきらめざるを得ない子どもたちを少しでも減らせたら」
父が語る宮城大弥 後編
(前編:宮城大弥は幼少期、ツギハギのユニフォームや穴が空いたスパイクでプレー 父が明かす壮絶な極貧生活>>)
オリックスの宮城大弥は選手としてプレーするかたわら、2022年6月に「一般社団法人 宮城大弥基金」を設立し、経済的な理由でスポーツが続けられない沖縄県在住の子どもたちを対象に、用具や遠征費用の支援を行なっている。
現役のプレーヤーが一般社団法人を設立するのは史上初の試みだが、どんな経緯があったのか。宮城の実父で、財団の理事を務める宮城享(みやぎ・とおる)氏に聞いた。
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【苦しい生活のなか、息子の大弥はU-15日本代表まで成長】
享氏が中学生の時に交通事故に遭い、左手に障がいを負った影響により、壮絶な極貧生活を強いられた宮城家。電気や水道、ガスが止まることも日常茶飯事で、月末には水を飲んで空腹をしのぐこともあったという。それでも宮城は、満足な野球道具もそろわないなかで成長し、中学時代にはU-15日本代表に選ばれた。
だが、そんな溢れんばかりの才能が、家計をさらに圧迫する。
「代表に選ばれると、合宿に参加する遠征費が必要になりまして......。それらに参加するために、家計の出費が年間80~100万円ほど増えることになりました。『子どもたちの食事代くらいはどうにかしよう』と妻と話し、何とか家計をやりくりしていましたが、それでもやっぱり厳しかったです。大弥を日本代表に送り出した時には、5000円ほどしか手元にありませんでした」
生活保護を受けようか悩んだこともあったそうだが、当時は任意で打ち込むスポーツ活動に要する費用に関して、「必要不可欠な生活費」として認められにくい傾向があったという。生活保護を受けてしまうと、息子が野球を続けられなくなるかもしれない、というジレンマを享氏は抱えることになった。
そんななかで宮城は、軟式のグローブで合宿に参加。一部の者は冷ややかな視線を送っていたようだが、享氏からは「それを微塵も気にしていないように見えた」という。
宮城は「U-15ベースボールワールドカップ」でキューバ戦を含む3試合に登板。一流のレベルを体感したことが、さらなる高みを目指すきっかけになる。プロ野球選手になると決意し、親子で「将来、プロ野球選手として活躍できるようになったら、これまで支えてくれた地域の皆さんに恩返しをしよう」と誓い合った。
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