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駒野友一が語る「忘れられない5試合」 ジーコに初めて招集された夜の衝撃「みんなベッドなのに、僕は畳で...」 (2ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei
  • photo by AFLO

── 将来的には監督を目指しているのですか?

「監督になりたいですけど、今の時点ではまだ『11人も見きれない』というのが本音です」

── イメージしている監督像はありますか。

「監督が言ったことをやらされるのではなくて、子どもたち自身が考えて、ピッチで表現してくれるような選手を育てていきたいなと思っています。まずはアカデミーが中心になると思いますが、将来的にはトップの現場にも立ちたいと考えています。お世話になったクラブなので、結果で恩返ししていきたいと思っています」

── 今回は「現役時代に印象に残った試合・選手」をテーマにお話を聞きたいと思います。まずは試合について。キャリアを振り返った時、思い返される試合を5つ教えてください。

「5つか......そうですね、まずはアテネ五輪のイタリア戦ですね。2-3で負けたんですけど、スコア以上に個々の力の差を感じた試合でした」

......【日本vsイタリア「2-3」/2004年8月15日/アテネ五輪】

── イタリアにはなかなかのメンバーが揃っていましたよね。

「アンドレア・ピルロ(ミラン/当時・以下同)がいて、ダニエレ・デ・ロッシ(ローマ)がいて、FWにはアルベルト・ジラルディーノ(パルマ)がいて......。同世代だけどすでに名の知れた選手がたくさんいましたし、『これが世界レベルのサッカーなんだ』というのを突きつけられましたね。

 特にピルロはすごかった。余裕でボールをキープするし、キックの精度も圧倒的。セリエAで活躍するにはこのレベルが必要なんだな......と感じました」

── 日本も最後に1点を返すなど、善戦しましたよね。

「スコア的にはそう見えるかもしれないですけど、一瞬のプレーがぜんぜん違いました。Jリーグでは見たことのないプレーというか、このタイミングでシュートを打つのか......というシーンも何度もありましたし。デ・ロッシにはオーバーヘッドで決められましたけど、その距離で、それをやるかっていう衝撃がありましたね」

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