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関東大学リーグ1部・中央大所属の金田喜稔が、木村和司がいる同2部・明治大と試合するのが「嫌だった」ワケ

  • 浅田真樹●取材・構成 text by Asada Masaki

木村和司伝説~プロ第1号の本性
連載◆第4回:金田喜稔評(4)

JSL(日本サッカーリーグ)の日産自動車、Jリーグ発足後の横浜マリノス(現横浜F・マリノス)で活躍し、日本代表の攻撃の柱としても輝かしい実績を残してきた木村和司氏。ここでは、そんな稀代のプレーヤーにスポットを当て、その秀逸さ、知られざる素顔に迫っていく――。

大学時代、木村和司氏が所属する明治大とは「試合するのが嫌だった」と言って笑う金田喜稔氏 photo by Miki Sano大学時代、木村和司氏が所属する明治大とは「試合するのが嫌だった」と言って笑う金田喜稔氏 photo by Miki Sanoこの記事に関連する写真を見る

第3回◆金田喜稔が最も衝撃を受けた、木村和司のあまりにも意外な"伝説"とは?>>

 金田喜稔と木村和司は、ともに高校時代を県立広島工業高校(以下、県工)で過ごしたが、高校卒業後は金田が中央大学、1年後輩の木村は明治大学と、それぞれ別の大学に進んだ。

 しかも当時の明大は、関東大学リーグ2部。明大には金田と同級生だった小松治生もおり、たまに練習試合などで顔を合わせることはあっても、「基本的につき合いはないんですよ。ワシら、大学違うから」。

 金田曰く、「関東1部と2部って全然ちゃうやん」の言葉どおり、1部の中大にいた金田との接点がなくなっていくのは、仕方のないことでもあった。

 金田が苦笑いで振り返る。

「明大に行ったら、(サッカー部員は)もう汚い小屋みたいな寮に住んどるわけ。上がったら、靴下が真っ黒になるようなとこですよ。風呂もフ~って(薪をたいて)沸かしてんだよ。『おまえら、どんな生活してるんや』って(笑)」

 一方、金田が通う中大は当時、文系全学部が東京都八王子市に移転したばかりで、「寮の風呂にはサウナがついてたし、芝(のグラウンド)で練習してたからね」。

「明大のことは、ようバカにしとった。だから、明大と(試合を)やりたくないわけ、土のグラウンドだし。明大とやるの、嫌やなって。でも、アイツら、あそこで耐えてやってきたんだなと思うと、それはすごいなと思うよ、マジな話」

 そんな環境が木村を精神的に強くしたかどうかはともかく、金田と木村は年代別日本代表で、再びチームメイトとして顔を合わせることになる。木村の1年先輩である金田が「ワシは早生まれ(1958年2月生まれ)だったから」実現した、再会だった。

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