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「それだけ長くやってきて、よくそんなこと聞きますね」 担当記者が今も忘れないイチローから浴びせられた強烈なひと言

  • 小西慶三●文 text by Konishi Keizo

51番を追いかけて〜記者が綴るイチロー取材の日々(中編)

 たったひとりの選手について毎日、毎試合いったい何を書くというのか。

 イチローのマリナーズ入団以降、米メディアから何度もそう聞かれた。日本人野手のMLB挑戦は初。アメリカの記者たちが好奇の目で日本からの同業者を見ていたが、自分たちもひとりの野手にフォーカスし続けるのは初めてで、どう答えればいいのかわからなかった。

 経験から先に結論を書くと、「ひとりの選手について書くべき事象は毎日、毎試合のペースでは発生しない。だがそんな"何も書くことがない日"でも、どうにか何かをひねり出すしかない」だった。

2001年にマリナーズに移籍し、以来19年間メジャーでプレーしたイチロー photo by Kyodo News2001年にマリナーズに移籍し、以来19年間メジャーでプレーしたイチロー photo by Kyodo Newsこの記事に関連する写真を見る

【イチローの取材は移動も大変】

 苦労したのは、イチローが活躍したがチームは負けた、というケースだ。敗戦後のロッカールームの雰囲気は暗く、選手とのやり取りは弾まないものになる。だがそんな時でも、東京のMLB担当デスクからは容赦なく記事の発注があった。オリックス時代からイチローはステレオタイプな質問には答えてくれず、その姿勢は渡米後も一貫していた。ヒットを3本打ってもコメントがほとんどない、ということが珍しくなく、そのたびに四苦八苦して記事を仕上げた。

 移動も大変だった。MLB各チームは専用のチャーター機で移動し、われわれメディアは在来便で彼らを追いかけなければならない。目的地によっては乗り継ぎが必要だったり、便数が少なくて思うような時間に着けない。

 さらには、2001年9月11日の大規模同時テロ事件以後に各航空会社のセキュリティ対策が一気に強化され、出発の2時間以上前には空港に着いていないといけないハンディも加わった。

 マリナーズ本拠地シアトルからニューヨーク、ボストンなど東海岸の主要都市まで往路で5時間弱。復路は偏西風に逆らって飛ぶので6時間近くかかる。だが時差が3時間以上の東海岸へ西から向かうスケジュールでは、必ず移動日が設けられているからまだマシだ。特にキツかったのは、時差2時間の敵地へ当日移動するケースだった。

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著者プロフィール

  • 小西慶三

    小西慶三 (こにし・けいぞう)

    1966年大阪府生まれ。関西学院大学卒業後、1991年に共同通信社入社。1994年からオリックス・ブルーウェーブ(当時)を担当し、本格的に野球記者のキャリアをスタートする。その後、西武ライオンズ担当などを経て2000年12月、米ワシントン州シアトルに転勤。2001年に全米野球記者協会(BBWAA)初の日本人会員となる。イチロー氏の現役時代はオープン戦などを含め年間平均200試合近くを現場で取材。現在もシアトルを拠点にMLB取材を続けている

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