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「それだけ長くやってきて、よくそんなこと聞きますね」 担当記者が今も忘れないイチローから浴びせられた強烈なひと言 (2ページ目)

  • 小西慶三●文 text by Konishi Keizo

 たとえばテキサス・レンジャーズはマリナーズと同じア・リーグ西地区に属するが、その本拠地アーリントンとは時差2時間で、最寄り空港のダラスまで片道約4時間かかる。ただ直行便が1日で4、5本あるダラスはまだいいほうで、同様の時差2時間都市であるカンザスシティやセントルイス、ミルウォーキーには朝6時くらいの始発便でまずデンバーやシカゴなどに飛び、そこから乗り換えて午後3時頃に着く、といった具合だ。

 各空港からはレンタカーで球場に向かい、日付が変わるくらいまでプレスボックスでの仕事がある。今ではUberやLyftといったライドシェア・サービスもあるし、スマホのアプリが球場や宿泊先まで道案内をしてくれる。だが2001年から2010年過ぎまではそれらの便利なものはなく、紙の地図が頼みだった。

 駆け出しの頃、先輩から「この仕事の基本はまず現場に着くこと。その時点でもう仕事の半分は終わっている」と教わった。数えきれない出張でそのうち移動が特技のようになり、イチロー取材では一度も遅刻したことがない。

【取材者との真剣勝負】

 球場外で会うような関係になっても、イチローは難しい取材対象だった。オリックス時代からの経験がアドバンテージと感じたことも少ない。むしろ、その分だけハードルを上げられていると思うことさえあったし、アメリカでも時々キツい言葉をもらった。その一番の思い出では2005年6月、ワシントンDCでのナショナルズ戦後だろう。

「それだけ長く(担当記者を)やってきて、よくそんなこと聞きますね」

 質問内容はともかく、あの時の静かなトーンはグサっと刺さった。移動続きで疲れていたはずが、あの夜はなかなか寝つけなかった。同シーズンが終わってから、その時、彼が何を求めていたかを間接的に知ったが、それは打撃での始動タイミングを意図的に早めようとしていたのを察してほしかった、ということだった。

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