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トルシエが幾度となく悔やんだトルコ戦。「指揮官は私ではなく、オシムのほうが適任だったかもしれない」 (5ページ目)

  • 田村修一●取材・文 text by Tamura Shuichi
  • photo by Press Association/AFLO

 そう思ったのは、もし日本が決勝でスペインを破ったら、大会そのものが真剣ではなかったと見なされかねなかったからだ。日本が収まるべき位置は、世界チャンピオンではない。なぜなら、日本はまだそこまでのレベルにはないし、実績も挙げてはいない。まだまだ踏襲すべき道のりがある。

 スペイン戦へのアプローチは、トルコ戦のそれと同じだった。そこ(決勝とグループリーグ突破)に至るまでは、私がガイドであり、先導役だった。すべては私が決断していたが、決勝では選手にすべての責任を委ねた。トルコ戦もまったく同じように準備した」

 最後に彼はこう締めくくった。

「言いたいことはわかるだろう。フィリップ・トルシエとは、そういう監督なんだ」

(文中敬称略/おわり)

フィリップ・トルシエ
1955年3月21日生まれ。フランス出身。28歳で指導者に転身。フランス下部リーグのクラブなどで監督を務めたあと、アフリカ各国の代表チームで手腕を発揮。1998年フランスW杯では南アフリカ代表の監督を務める。その後、日本代表監督に就任。年代別代表チームも指揮して、U-20代表では1999年ワールドユース準優勝へ、U-23代表では2000年シドニー五輪ベスト8へと導く。その後、2002年日韓W杯では日本にW杯初勝利、初の決勝トーナメント進出という快挙をもたらした。

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