【部活やろうぜ!】中村憲剛は最後の試合に負けても泣かなかった「帝京戦はそれまでの人生のベストバウト」
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学校での部活を取り巻く環境が変化し、部員数減少も課題と言われる現在の日本社会。それでも、さまざまな部活動の楽しさや面白さは、今も昔も変わらない。
この連載では、学生時代に部活に打ち込んだトップアスリートや著名人に、部活の思い出、部活を通して得たこと、そして、今に生きていることを聞く──。部活やろうぜ!
連載「部活やろうぜ!」
【サッカー】中村憲剛インタビュー後編(全2回)
高校2年生になって試合にも出場するようになると、中村憲剛はトップ下として存在感を発揮していった。
ただ、2年生の時のチームは選手権予選の初戦で敗れ、早々に先輩たちは引退。その後、新チームでキャプテンを務める中村にとって、その経験も決して無駄にはならなかった。
「ある意味、両極端の結果を経験することができた。自分の世代になった時に、どういう空気をつくればいいかがわかったことは大きかった」
中村憲剛さんに思い出の帝京戦を振り返ってもらった photo by Miki Sanoこの記事に関連する写真を見る 高校3年生になり、キャプテンを務めたチームについては「同期は、協調性はないけど、能力は高かった」と笑う。だから、「まとめるよりも、自分がきちんとプレーすることを考えていた」と言う。
同級生ということもあり、気を使う間柄ではなかったこともあっただろう。選手たちの個性を生かし、キャプテンとしては言葉よりも背中で示した。
「とにかく我の強いヤツが多くて、チームメイトの話も聞かないようなこともあったけど、自分も遠慮なくズカズカと意見を言うから、自分の話だけは多少は聞いてくれるところがありました。
あと、1年からレギュラーで東京国体にも選ばれて、プレーにもカリスマ性がある選手がいたんですけど、ムラもあるヤツだったので(苦笑)、キャプテンの自分が彼をしっかりとつかまえておくことができれば、チームはうまく回ると思っていた。
だから、ふたり組の練習の時には、必ず彼と一緒にやるようにしていましたし、3年生の時は同じクラスだったので、公私ともに一緒にいることができたのもよかったのかな」
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著者プロフィール
原田大輔 (はらだ・だいすけ)
スポーツライター。1977年生まれ、東京都出身。サッカー専門誌『ワールドサッカーグラフィック』の編集長を務めたのち独立。Jリーグを中心に取材し、各クラブのオフィシャルメディアにも寄稿している。主な著書に『愛されて、勝つ 川崎フロンターレ「365日まちクラブ」の作り方』(小学館クリエイティブ)など。





