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「どん詰まりやったのに...」から始まった進化 則本昂大は柳田悠岐に打たれた1本のヒットで「初めてピッチャーになった」

  • 安倍昌彦●文 text by Abe Masahiko

流しのブルペンキャッチャー回顧録
第2回 則本昂大(巨人)

  その日は、「8時にグラウンドに来てください!」と言われていた。 連絡をくださったマネジャーさんによると、「則本さんは8時半からピッチングですので!」とのこと。

  つまり、当日は朝の8時には、エンジン全開の体と反射神経にしておかねば、こちらの命が危うい......ということだ。

三重中京大学時代の則本昂大 photo by Sankei Visual三重中京大学時代の則本昂大 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る

【まるで別人のような投球フォーム】

  則本昂大──三重中京大学4年春の時点で、彼の球速アベレージは140キロ台後半、好調時には150キロを突破する学生球界指折りの快速球投手に台頭していた。

  グラウンドのある松阪市に前泊した私は、朝4時に起きた。4時間あれば体は目覚める......。そんな"一般論"にすがって、まだ暗い夜道を1時間歩き、ホテルの自室で入念にストレッチを繰り返してから、グラウンドに向かったものだ。

  もちろん、朝食は抜き。少しでも体を軽く保つため、当日は終わるまで一切の食事を摂らないのが、「流しのブルペンキャッチャー」の流儀だ。

  立ち投げの最初の1球を受けて、驚いた。フォームが変わっている......。いや、この表現は適切ではない。フォームがよくなっている。

  2010年6月。全日本大学野球選手権で見た2年時の則本といえば、たしかにボールは速いが、反動をつけようとして、テイクバックで右手が背中側に入り、苦しまぎれにアゴが上がって、腕の振りが体のタテ軸から離れた力まかせのフォーム。私は「このままでは故障する......」と心配したものだ。

 それが、別人のように整っているじゃないか。

「フォーム、よくなったねえ、どうしたの!」

 最初の1球で、いきなり突っ込みを入れてしまった。

 則本は三重学生野球リーグで無敵を誇った。3年秋を終えた時点で22勝無敗。184イニングを投げて自責点わずかに13、勝利のほぼ半分が完封という凄まじい成績。チームの......というよりも、リーグ全体の絶対的エースという存在にまで台頭していた。

 ほかのチームが必死に研究、対策してくるなかで、それでもこれだけコンスタントに結果を上げられたのは、本人の実力と努力がはるかにそれを上回っていたからだろう。

 そんな「栄光」のなかにも、ぬぐいきれない「キズ」のようなものがひとつあった。

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著者プロフィール

  • 安倍昌彦

    安倍昌彦 (あべ・まさひこ)

    1955年、宮城県生まれ。早稲田大学高等学院野球部から、早稲田大学でも野球部に所属。雑誌『野球小僧』で「流しのブルペンキャッチャー」としてドラフト候補投手のボールを受ける活動を始める。著書に『スカウト』(日刊スポーツ出版社)『流しのブルペンキャッチャーの旅』(白夜書房)『若者が育つということ 監督と大学野球』(日刊スポーツ出版社)など。

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