検索

夏の甲子園でのバックスクリーン弾→大学で三冠王 立石正広が3球団競合のドラフト1位選手になるまで (3ページ目)

  • 内田勝治●文 text by Uchida Katsuharu

【大学でも光った無類の勝負強さ】

 中学、高校時代と同じく、大学でも大舞台で無類の勝負強さを見せた。東京新大学リーグでは2年春に打率.500、5本塁打、14打点で3冠王に輝くなど、4年間で本塁打王を3度、打点王を3度、首位打者を2度獲得し、4度のリーグ優勝を経験。3年秋の神宮大会では歴代最多の10安打を放ち、打率.667、2本塁打、6打点で準優勝に貢献した。初戦の佛教大戦では右越え、準決勝の環太平洋大戦では左越えと、広角に長打が打てるのも魅力だ。

「大きな大会で結果が必要だなと思ったら、ちゃんと3年秋の神宮で出すことができたので、それがプロに近づくことができた大きな要因になったと思います。中学時代は高校に山野と椋木がいて、大学では3学年上の門脇誠選手(巨人)と同部屋だったということも、彼にとってはビジョンを立てやすかったんじゃないでしょうか」

 野手のプロ入りは、前身の多々良学園時代の高木豊(中央大→大洋ドラフト3位)以来2人目。高川学園となってからは初となる。松本監督は、「1日でも1秒でも長くプロの世界でやってほしい」と期待を込める。

「校名が変わって初めての野手のプロなので、レギュラーになれば毎日試合がありますから、ケガをせずに試合に出続けてほしいです。1年目からバンバン活躍できるほど甘い世界ではないでしょうが、それが願いですね」

 来年のオフ。プロ1年目を終え帰省した愛弟子がどんな変化を遂げ、どんな戦果を報告してくれるのか。その時を楽しみにしながら、「立石2世」の育成に全力を注ぐ。

 『怪物 江川卓伝』(著・松永多佳倫)
令和に蘇る怪物・江川卓の真実──。
光と影に彩られた軌跡をたどる評伝が刊行!
高校時代から「怪物」と称され、法政大での活躍、そして世紀のドラフト騒動「空白の一日」を経て巨人入り。つねに話題の中心にいて、短くも濃密なキャリアを送った江川卓。その圧倒的なピッチングは、彼自身だけでなく、共に戦った仲間、対峙したライバルたちの人生をも揺さぶった。昭和から令和へと受け継がれる“江川神話”の実像に迫る!

著者プロフィール

  • 内田勝治

    内田勝治 (うちだ・かつはる)

    1979年9月10日、福岡県生まれ。東筑高校で96年夏の甲子園出場。立教大学では00年秋の東京六大学野球リーグ打撃ランク3位。スポーツニッポン新聞社でプロ野球担当記者(横浜、西武など)や整理記者を務めたのち独立。株式会社ウィンヒットを設立し、執筆業やスポーツウェブサイト運営、スポーツビジネス全般を行なう

フォトギャラリーを見る

3 / 3

キーワード

このページのトップに戻る