元巨人ドラフト1位・高橋優貴が語るプロ時代のたった一度の悔恨 「新しい自分をつくるべきだった」 (3ページ目)
── プロ1年目、初登板・初勝利を含む5勝を挙げ、日本シリーズでも第3戦に先発しました。プロでやっていけるという自信めいたものをつかんだきっかけは?
高橋 1年目はとにかくがむしゃらで、いろいろ考える余裕はなかったのですが、3年目に11勝をマークし、オールスターにも出場することができました。なんとかして1試合1試合勝てるように、自分の投球や相手打者の映像を見たりしました。自分が持てたというのはなかったですが、準備を欠かさずに6年間やってきたつもりです。
ただ巨人にはすごい先発投手がいましたし、毎年のように外国人投手の補強もありました。いい成績を挙げても、翌年必ず投げさせてもらえるという確約もなく、「これでもう大丈夫だな」という安心感は一度もありませんでした。
【プロ6年間で通算18勝】
── 高橋さんが在籍した時は、山口俊投手や菅野智之投手ら、"投手三冠"を獲得したピッチャーがいました。
高橋 ふたりともあれだけの成績を残しても、野球に対する探究心、常に変化を求めて高みを目指そうとする向上心は勉強になりました。菅野投手は「現状維持は後退だ」と言っていました。
── 菅野投手の球はすごかったですか。
高橋 じつは、僕が高校に入学して間もない頃のことです。菅野さんが日本ハムの指名を拒否して"浪人"が決まり、1日だけ東海大菅生のグラウンドに来たことがあったんです。その時、菅野さんの投球練習を見て、「これが人間の投げるボールなのか??」と驚愕しました。
── 巨人に入団してから、刺激をもらった選手はいましたか。
高橋 同じ左腕の今村信貴投手、田口麗斗投手(現・ヤクルト)はライバルであり、お手本でもありました。シュート習得の際には、技術的なことに関して話し合いましたね。
── 高橋さんが背負ってきた番号に関して、「12」は角盈男さん、「26」は内海哲也さん、「47」は工藤公康さんがつけていました。そのことからも期待の大きさを感じました。
高橋 背番号に見合うように......というのがモチベーションになっていました。一方、ドラフトをはじめ、毎年補強があったので、コンスタントに成績を残さないといけないという危機感は常に感じていました。
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