検索

巨人を戦力外となった高橋優貴が球団スタッフのオファーを断り、社会人野球でプレーすることを決めた理由

  • 飯尾哲司●文 text by Iio Tetsuji

高橋優貴インタビュー(後編)

前編:「高橋優貴が語るプロ時代のたった一度の悔恨」はこちら>>

 2024年に巨人から戦力外通告を受け、社会人野球のミキハウスでプレーすることを決めた高橋優貴。プロからアマチュアの世界に戻った今、どんな思いで現役を続けているのか。また、今後の目標についても語ってもらった。

今季から社会人野球のミキハウスでプレーする高橋優貴 photo by Sankei Visual今季から社会人野球のミキハウスでプレーする高橋優貴 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る

【6年で巨人を戦力外通告に】

── 巨人から戦力外通告を受けた時はどんな心境でしたか? 2ケタ勝利を挙げた実績があり、しかもまだ入団してから6年しか経っていませんでした。

高橋 驚きはなかったです。まだ早いのでは......と思ってくれた人もいました。でも、毎年選手の入れ替えがあり、成績を残せなければ去っていくしかない。それがプロ野球の世界だと思います。だから、僕のなかでは戦力外を受けたことは不思議ではなかったです。

── 選択肢として、「球団スタッフとして残る」「他球団への移籍」「独立リーグ、社会人でプレー」「現役引退」などがあったと思います。

高橋 最初に野球を続けるのか否かを考えました。野球というスポーツは、やれる期間が限られています。独り身ならどんな選択をしてもいいかもしれません。でも家族がいる以上、自分本位で決めるのはよくないと思っていました。実際のところ、スタッフとして球団に残るという話もいただきました。「何が正解か......」というのはないと思いますが、「どの選択がいいのか」はすごく悩みました。

── 同じ巨人のドラフト1位投手であり、ミキハウスに移籍した桜井俊貴さんからの誘いがあったそうですね。桜井さんは巨人スカウトを経験したあと、ミキハウスに投手として復帰しました。

高橋 僕は高校から大学に進み、巨人に入団しました。キャリアのなかで、唯一、社会人野球は内側から触れた経験がありませんでした。ただ、巨人時代に社会人野球のチームとオープン戦や練習試合をして、レベルの高さは感じていました。

── ミキハウスに行くにあたって、ほかに誰かのアドバイスはあったのですか。

高橋 以前に東海大菅生の若林弘泰監督から、「都市対抗野球はすばらしいぞ」という話を聞いていました。それに昨年秋、日本選手権でミキハウスがENEOSを完封した試合を観戦しました。活気あるチームであると感じたので、僕もメンバーとして一緒にプレーし、全国大会で活躍できるようにと思って入団を決めました。

1 / 3

著者プロフィール

  • 飯尾哲司

    飯尾哲司 (いいお・てつじ)

    静岡県生まれ。『週刊ベースボール』編集部出身。野村克也氏『私の教え子ベストナイン』『リーダーとして覚えておいてほしいこと』、元横浜高野球部長・小倉清一郎氏『小倉ノート』をはじめ、書籍の企画・取材・著書多数。プロ野球現場取材歴35年。早稲田大学大学院修士課程修了。学術論文「エリートアスリートはなぜセカンドキャリアで教員を選択したのか:プロ野球選手とJリーガーの事例をもとに」(スポーツ産業学研究, Vol.33, No.1, p.63-73,2023.)

フォトギャラリーを見る

キーワード

このページのトップに戻る