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梶谷隆幸と高森勇旗が語る汗と涙の湘南シーレックス 「生まれ変わっても二度と戻りたくない」

  • 村瀬秀信●構成 text by Murase Hidenobu

梶谷隆幸×高森勇旗 ベイスターズ同期入団対談(全4回/3回目)

 生まれ変わっても戻りたくない──かつて横浜ベイスターズのファームとして存在した湘南シーレックス。そこには、血と汗と涙がにじむ"地獄の3年間"があった。プロの世界で生き抜くことの過酷さと、その先に見えた希望とは。元シーレックス戦士・高森勇旗と梶谷隆幸が語る、知られざる日々の記憶とは。

2009年にイースタンリーグで最多安打のタイトルを獲得した高森勇旗氏 photo by Kyodo News2009年にイースタンリーグで最多安打のタイトルを獲得した高森勇旗氏 photo by Kyodo Newsこの記事に関連する写真を見る

【今日を生き抜くことで精一杯】

高森 さて、湘南シーレックス()の話をしようか。
※横浜ベイスターズのファームで、2000年から2010年まで「湘南シーレックス」の名称で活動していた

梶谷 来たね。生まれ変わっても二度と戻りたくない濃密な3年間。それぐらいしんどかった。

高森 時代が違うとはいえ、だよ。むちゃくちゃだったよね。オレとカジ(梶谷)はいつも一緒で、早出、個別、夜間と全部やってさ。全体練習が終わると休みなしで2時間、カジが万永(貴司)さんのノックを受け、オレが(高木)由一さんとティーバッティングを交互にやって。それが終わったら谷川(哲也)さんのところでランニング、ウエイトをやって、晩飯食べたあとに夜間練習。

梶谷 正直、逃げ出したかったよ。今の練習は14時ぐらいには全部終わって、そこからウエイトをやるヤツはやるという感じ。あの時はマジで日が暮れても普通にやっていたよね。

高森 長浦のグラウンドって、横須賀の軍港の向こう側から太陽が昇り、最後山の方に沈んでいくと、山の影がグラウンドを一気にバーッと包んでいく。そうなると「よーし、じゃあティーバッティングやるか」という声がかかってさ。

梶谷 冬場の4時半から5時ぐらいのあの夕日、思い出すな。

高森 当時は一軍で活躍するという高邁な理想よりも、とにかく今日を生き抜くことで精一杯だった。

梶谷 あまりにも下手すぎて未来が見えなかったからね。でもやらずにはいられなかったんだよな。モリ(高森)は休みの前の日に飲みに行っても、「ちょっとバット振りたいから」って帰っていたよな。「えっ、ウソだろ! すげぇな」って感心したよ。

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著者プロフィール

  • 村瀬秀信

    村瀬秀信 (むらせ・ひでのぶ)

    1975年生まれ。神奈川県出身。茅ケ崎西浜高校野球部卒。主な著書に『止めたバットでツーベース 村瀬秀信 野球短編自撰集』、『4522敗の記憶 ホエールズ&ベイスターズ 涙の球団史』、『気がつけばチェーン店ばかりでメシを食べている』など。近著に『虎の血 阪神タイガース、謎の老人監督』がある。

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