梶谷隆幸と高森勇旗が語る汗と涙の湘南シーレックス 「生まれ変わっても二度と戻りたくない」 (3ページ目)
2009年4月30日の阪神戦でプロ初本塁打を放った梶谷隆幸氏 photo by Kyodo Newsこの記事に関連する写真を見る梶谷 そうそう。一度、吉見(祐治)さんが一軍で2回KOされて即二軍に落ちてきて、中1日とかで先発するわけよ。「大丈夫なのか......」って不安視していたら、普通に9回87球とかで完投しちゃうわけ。
高森 めっちゃ覚えてる(笑)。
梶谷 しかも休み前だったからね。早く終わってほしいと思っているところで1時間58分とかで試合が終わった。「吉見さん、神!」って感激したのを覚えているわ。
高森 あの2009年は監督の大矢(明彦)さんが休養して、ファームの監督だった田代(富雄)さんが一軍の監督代行になった。しかも、オレの誕生日の5月18日からだよ。
梶谷 マジか。すごいプレゼントだな。
高森 その日は休日で、病院に検査に行ってたの。そしたら待合室に偶然番長(三浦大輔)が来た。一軍のエースと二軍選手だよ。「うわっ、三浦さんだ」って圧倒されてたら「おまえ、新聞見たか? 監督変わったぞ」と言われて。慌ててニュース見たら監督代行に田代さん。これはとんでもない誕生日プレゼントだと震えたよ。クワさん(桑原義行)には「絶対一軍に上げてくれるぞ」と言われて、実際にゾノさん(下園辰哉)は即一軍でいきなり1番スタメンだし、呉本(成徳)さんも一軍に行った。「さぁ、来るか、いつ来るか」と待ってたんだけど、いつの間にか10月になってた。
梶谷 でも最後に上げてくれたんだよな。
高森 一軍に上がって、田代さんにあいさつしに監督室に行くじゃない。「おう、ご褒美だ」と言って、直後に「3日後からフェニックスな」って言われて宮崎行き決定。
梶谷 もうそれは当たり前に確定事項。それでもありがたいよね。
高森 ありがたかったよ。結局、その2日がオレの一軍のすべてだったからね。一方のカジはこの2009年にノーステップ打法でタイミングをつかんで、一気にガーンと伸びた。春先に甲子園ではホームランも打ってさ。あの時は「やれる」という感覚はあったの?
梶谷 全然。ただただ早く終わってくれと思っていた。恐怖に駆られているからさ。特に守備なんて逃げ出したかったもの。あの甲子園でホームラン打った日も、結局9回に悪送球してさ。心が持たなかった。「オレ、メンタル弱っ!」と思ったもん。
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