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梶谷隆幸と高森勇旗が語る汗と涙の湘南シーレックス 「生まれ変わっても二度と戻りたくない」 (4ページ目)

  • 村瀬秀信●構成 text by Murase Hidenobu

【中畑監督が我慢してくれたおかげ】

高森 オレの一軍での2試合は消化試合だから、心が削られる間もなく終わったんだけど、"心がもたない"という感覚は少しわかる。その後、カジは一軍でも活躍するようになるじゃない。

梶谷 6年目の2012年だよね。親会社がDeNAに代わって、中畑(清)さんが監督になって見出してもらった。オレはすごい運がよかった。監督がどういう選手を好むかで、選手の人生は変わってしまう。オレは中畑さんが我慢して使い続けてくれたおかげで、18年も現役でプレーできた。中畑さんが来なければ、2012年か13年でクビになっていたと思う。

高森 いま振り返っても、当時の梶谷のどこに中畑さんが魅力を感じたのかわからないんだよ。もちろん足は速かったけどさ。

梶谷 ......オレもそう思う。あの当時、足しかないもん。ファームでも2割8分程度しか打ったことがないし、飛距離もない。自分でもビックリするよ。「なんでオレなの?」って。

高森 それであれだけ我慢できるってすごくないか......? 考えて見れば三上(朋也)もヤスアキ(山?康晃)もいきなりクローザーで使っているし、すごい先見の明だよね。

梶谷 感性が独特なんだろうね。でもオレはそれで救われた。苦しかったけどね。1番ショートで開幕スタメンに抜擢されて、それからずっと使ってくれたんだけど、ずっと1割台もいかなかった。市外局番で愛知ぐらいまでいったしね。

高森 052ぐらいか。横浜の045までもうすぐ(笑)。

梶谷 まったく打てないと、「おまえ、今どこの県?」って聞かれる。結局、最終的に.179だったかな。打てないだけじゃなく、守備でもイップスになって。毎試合スタメン発表前に「頼むからオレの名前がありませんように」って願いながら過ごすんだけど、また名前がある。

高森 ほかの選手からすれば、「こいつ贔屓されやがって」という目もあるだろうしね。

梶谷 ちょっと前なら「贅沢な悩みを言いやがって」となるけど、日に日にヤジも大きくなるし、これまでとはまったく違う怖さだった。メンタルはボロボロで、本気で「野球に向いてない」と思ったし、ファーム行きを言われた時、正直ホッとしたよ。もうさらし者にならなくていいと思って......。

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