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【プロ野球】ソフトバンク和田毅が振り返るパ・リーグ強打者たちとの激闘の記憶 挙がった名前は? (4ページ目)

  • 田尻耕太郎●文 text by Tajii Kotaro

── 1月は毎年恒例の『和田塾』(自主トレ)も行なっていましたよね。

和田 僕は何にもしてないですから(笑)。昨年のシーズン中に何人かの選手から「来年もよろしくお願いします」と頼まれていて。ただ、僕は引退するのを隠していたじゃないですか。だから断るわけにもいかずに「いいよ」と返事をしていたので、開催しないわけにはいかなかったんです(笑)。『和田塾』はもうおしまい。ただ、長崎で続けてくれるならばと思って、参加してくれていた大学の後輩でもある小島(和哉=ロッテ)とか大竹(耕太郎=阪神)にホテルの方とか食事先のお店の方とかを紹介しました。

── 今後やりたいことは見つかりましたか?

和田 まずはいろいろ経験して勉強したいです。たとえば、これまでもプロ野球のオフ期間はイベントとか出させてもらったことはありましたけど、シーズン中に世の中ではどのようなことが行なわれているか何も知らずに生きてきましたから。野球場にしても、ファンの人たちはどんな風に試合を楽しんでいるのか見る機会もあまりありませんした。

 今までできなかったお仕事をする機会も多くなります。そのようなことを経験しながら、もしかしたら野球の現場が楽しかったなと感じることがあるかもしれません。とにかく、何事もチャレンジしなければ気づくことができないので、まずはやってみること。そのなかでワクワクする人生を歩めたらいいなと思います。

つづく


和田毅(わだ・つよし)/1981年2月21日生まれ。浜田高から早稲田大に進み、2002年  にドラフト自由枠で福岡ダイエーホークス(現・ソフトバンクホークス)に入団。1年目から14勝をマークして新人王を獲得。以降、5年連続2ケタ勝利を達成。10年に17勝を挙げ、最多勝を獲得し、7年ぶりのリーグ制覇に貢献。11年オフに海外FA権を行使し、ボルチモア・オリオールズへ移籍するも、開幕直前に左ヒジを手術。14年にシカゴ・カブスに移籍し、メジャー初登板を果たす。15年オフに日本球界復帰を決断し、16年より再びホークスに所属。復帰1年目から最多勝、最高勝率のタイトルを獲得した。24年のシーズン終了後、現役引退を発表した

著者プロフィール

  • 田尻耕太郎

    田尻耕太郎 (たじり・こうたろう)

    1978年生まれ、熊本市出身。 法政大学で「スポーツ法政新聞」に所属。 卒業後に『月刊ホークス』の編集記者となり、2004年8月に独立。 九州・福岡を拠点に、ホークスを中心に取材活動を続け、雑誌媒体などに執筆している。

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