「おまえは受けなくてもいい」から始まった戸柱恭孝の捕手人生 「これだけ練習をやった」が自信につながった
横浜DeNAベイスターズ・戸柱恭孝インタビュー(後編)
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勝負強い打撃と、投手の特長を生かした巧みなリードで、昨シーズン26年ぶり日本一の立役者となった戸柱恭孝。風貌から「ハマの金剛力士像」の異名を持つ球界を代表する捕手だが、マスクを被ったのは大学に入ってからだという。今季、節目のプロ10年目を迎えた戸柱に、これまでの野球人生を振り返ってもらうとともに、今季の意気込みについて語ってもらった。
今季プロ10年目を迎えるDeNAの戸柱恭孝 photo by Koike Yoshihiroこの記事に関連する写真を見る
【大学でサードから捕手に転向】
── 鹿屋中央高(鹿児島)時代は三塁手だったそうですが、駒沢大1年時に捕手に転向しました。きっかけは?
戸柱 高校3年の夏休みにセレクションがありました。シートノックで三塁に入ってノックを受けていたら、当時監督の小椋正博さんに呼ばれて「おまえは捕手だよ」と言われたんです。今より肩は強かったですから。「捕手でなら合格」なのですから、なかば強制的ですよね(笑)。今ではコンバート指令を、とても感謝しています。
── 強肩以外にも光る要素があったのではないですか。
戸柱 大学1年の時は不安しかありませんでした。投球練習のブルペンに入ると、4年や3年の投手に「(キャッチングが未熟だから)おまえは受けなくていい」と言われていました。
── 大学卒業後はNTT西日本に進み、3年間プレーしました。都市対抗、日本選手権出場に貢献し、社会人野球のベストナインにも選ばれています。捕手は独特なポジションですが、急速な進歩です。
戸柱 自分で言うものなんですが、社会人時代はものすごく練習しました。「これだけやった」というのが自信につながり、試合での経験で"捕手マインド"が養われていったのだと思います。
── ベイスターズ入団時、捕手は黒羽根利規さん、嶺井博希さん、高城俊人さんでした。そんななか新人から3年連続開幕スタメン、また2年連続100試合以上に出場しました。当時、目標にしていた捕手はいたのですか。
戸柱 僕は大学から社会人に進み、3年間プレーしてきたので、新人とはいえ即戦力のつもりで臨みました。目標としていたのは、僕のアマチュア時代、プロの代表的な捕手は同じ背番号10の阿部慎之助(現・巨人監督)さん。雲の上の存在でした。
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