【F1】角田裕毅は予選15位の結果に呆然とした ポールを獲得したフェルスタッペンとの差は何だったのか?
F1第3戦・日本GPレビュー(前編)
「みんな、ごめん」
レッドブル・レーシングで初めてのレースを終えた角田裕毅は、12位で日本GP決勝のチェッカードフラッグを受けてひと言、無線でチームスタッフたちに伝えた。
14番グリッドから53周のレースを走り、12位でフィニッシュ。
各車がほぼ予選順位どおりのオーダーでフィニッシュするという、まったく動きのないレースのなかで順位を2つ上げた。スタート直後の1周目にリアム・ローソン(レーシングブルズ)を抜き、ピットストップでピエール・ガスリー(アルピーヌ)を抜いたのが精一杯だった。
角田裕毅のレッドブルデビューは思わぬ落とし穴があった photo by BOOZYこの記事に関連する写真を見る「予選がすべてだった」
角田がチームに謝ったのは、決勝ではなく予選のことだった。
金曜の走り出しは順調で、ピーキーで扱いが難しいといわれるレッドブルRB21にも、角田はスムーズに適応していった。
シミュレーターで感じていたよりも実車のほうが「ピーキーさは強かった」と言うが、前任者たちとは違い、角田は持ち前のマシンコントロール能力で難なく適応してみせた。
「マシンのフィーリングはシミュレーターで感じていたのとはちょっと違って、思っていたよりもリアがもう少し暴れる感じでした。全体的にナーバスなのは確かですけど、今のところは(適応できていて)そこまで悪くはないのかなと思います」
FP1ではマックス・フェルスタッペンの0.107秒差につけ、FP2でさらに習熟を......と考えていた矢先、クラッシュやマシンから飛んだ火花による芝生火災の影響で、4度もの赤旗に阻まれることになる。ソフトタイヤでのアタックも完遂できなかった。
さらに土曜午前のFP3では、ロングランをあきらめて予選に向けたショートラン主体のプログラムを採ったが、ここでも芝生火災が続いて十分な走行ができなかった。
レッドブルは思いきって、金曜からマシンパッケージを大きく変え、前後ウイングを装着してダウンフォースを増やしたセットアップをトライした。だが、最高の仕上がりとは言えなかった。
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著者プロフィール
米家峰起 (よねや・みねおき)
F1解説者。 1981年1月31日生まれ、兵庫県出身。F1雑誌の編集者からフリーランスとなり2009年にF1全戦取材を開始、F1取材歴14年。各種媒体に執筆、フジテレビNEXTやYouTube『F1LIFE channel』での解説を務める。