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【F1】角田裕毅は自然体で鈴鹿に登場 レッドブルは「色が違うだけ」 「日本人初」の先に見える新しい歴史

  • 米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki

 角田裕毅がレッドブルへ──。そして日本GPをトップチームで走る。

 自身初の表彰台、いや、日本人初のF1優勝さえ視野に入る。

 そんな周囲の期待をよそに、角田本人はふだんと変わらない様子で鈴鹿サーキットへやって来た。違うのはチームウェアだけで、不思議と気分は何も違わないと角田は言う。

角田裕毅なら夢を現実に変えてくれるはず photo by BOOZY角田裕毅なら夢を現実に変えてくれるはず photo by BOOZYこの記事に関連する写真を見る「日本GPも楽しみですし、鈴鹿を走るのも楽しみにしていますけど、本当に普通な感じで(レッドブルで走るということに関しては)違いはまったく感じませんし、特に何もないです。サーキットに入った時も、レーシングブルズにいる時と同じような感覚でしたし、まったく変わらないですね。つまらなくてすいません(笑)」

 中国GPのあと、すでにイギリスのミルトン・キーンズのファクトリーでシミュレーター作業とエンジニアたちとのミーティングをこなし、日本にやって来てホンダやレッドブルのイベントを忙しくこなしてきた。

「最初に電話がかかってきたのはクリスチャン・ホーナー代表からで、もともとレーシングブルズのシミュレーター作業のためにイギリスに行く予定だったんですけど、『その(昇格の)可能性があるから準備しておいてほしい』ということでした。

 それで当初、シミュレーターは1日の予定だったんですけど、イギリス滞在を延ばして、ホーナーとも会って正式に聞きました。僕としては考える時間もほとんどなかったんですけど、トップチームからオファーをもらえるのはなかなかないことですし、こういう機会も人生でなかなかないと思うので、『承諾します』と答えました」

 この間、ずっと角田の周囲にいて行動をともにしてきたパーソナルアシスタントの平松雄大も、角田はふだんとまったく変わらない様子だったという。

「本人はいたって変わりがありません。周りが表彰台とか騒いでいるだけで、本人は『クルマの色が違うだけ』という感じ。乗ってみないとどうにもならないし、乗ってベストを尽くすだけだと考えているみたいです」

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著者プロフィール

  • 米家峰起

    米家峰起 (よねや・みねおき)

    F1解説者。 1981年1月31日生まれ、兵庫県出身。F1雑誌の編集者からフリーランスとなり2009年にF1全戦取材を開始、F1取材歴14年。各種媒体に執筆、フジテレビNEXTやYouTube『F1LIFE channel』での解説を務める。

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