【F1】日本GPのベストレースは鈴鹿全体が沸いた2012年 表彰台の頂点に立つ夢は角田裕毅に託して
F1日本GP 1987年〜2024年
「超個人的」ベスト5・後編
1987年に初めて鈴鹿サーキットで開催された日本GPは、これまで累計観客動員880万人以上を記録する国内屈指のビッグイベントだ。4月6日に決勝を迎える今年で35回目となる。
その長い歴史をF1ジャーナリスト・米家峰起氏に振り返ってもらい、超個人的なベスト5を挙げてもらった。前編では2005年や2006年などオールドファンも懐かしむレースがピックアップされたが、果たしてベストに選ばれたシーズンは──。
2012年の日本GPで表彰台に立った小林可夢偉 photo by BOOZYこの記事に関連する写真を見る【勝手にランキング2位:1988年】
日本GPとは切っても切れない存在がアイルトン・セナだ。3度のタイトルのすべてを日本GPで決め、そのたびに印象的なドラマを見せてくれた。
1989年は、シケインでのアラン・プロスト(マクラーレン・ホンダ)との接触。これによりふたりの確執が決定的になったうえに、FISA(国際自動車スポーツ連盟)を中心とした政治的な闘争にも発展してしまった。
そして1990年は、意趣返しとも言えるスタート直後のクラッシュでタイトル決定。ドラマチックではあるものの、どちらかと言えばドロドロとしたネガティブなドラマであり、個人的にはこれらをベストレースに挙げるのはためらわれる。
1991年のタイトル決定は、ナイジェル・マンセル(ウイリアムズ・ルノー)のコースオフであまりに呆気なく決まってしまったし、その後に最終ラップの最終コーナーでゲルハルト・ベルガー(マクラーレン・ホンダ)へ優勝を譲ったこともベルガー本人が快(こころよ)く思っていなかったと聞くと、ベストレースと言うべきではないのかなと思う。
そう考えると、鈴鹿で数々のドラマを見せてくれたセナの日本GPのなかで珠玉だったのは、1988年だと言える。
自身初の戴冠がかかるレースでポールポジションを獲ったものの、スタートでクラッチをつないだ瞬間にエンジンストール。しかし、鈴鹿のストレートが下り坂であったがゆえに押しがけのような形でエンジンの再始動ができ、13位でレースへ復帰する。
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著者プロフィール
米家峰起 (よねや・みねおき)
F1解説者。 1981年1月31日生まれ、兵庫県出身。F1雑誌の編集者からフリーランスとなり2009年にF1全戦取材を開始、F1取材歴14年。各種媒体に執筆、フジテレビNEXTやYouTube『F1LIFE channel』での解説を務める。